長崎と広島両方で直接被爆を経験した長崎の山口彊(つとむ)さん(93)=写真=が今週、念願叶って二重被爆の認定を正式に受けたニュースが世界を駆け巡っています。
山口さんは1945年当時、長崎三菱造船株式会社勤務の20代の技師として広島に3ヶ月出張の最終日前日、リトルボーイが投下され、爆心から3kmで直接被爆。左鼓膜が破れ左上半身に大やけどを負い、翌日その地獄から脱出しようと市中心部の列車に向かう途中で入市被爆しました。
長崎の自宅に戻って、翌日会社で課長に3日前の修羅場を報告していたその時、約3km離れた先にファットマン投下、部屋が真っ白に。「広島からきのこ雲が追いかけてきたと思いましたよ」と山口さんは英紙インディペンデントの電話インタビューにその時の心境を語っています。
13日には爆心地付近に親族を探しに行って入市被爆し、そのとき生後5ヶ月だった次男は2005年がんで死亡、奥さんも昨年がんで亡くなりました。山口さん自身は米軍通訳、英語教師を7年務め、やがて三菱造船にカムバック。その経験は自著、ドキュメンタリー映画『二重被爆』にもなっています。
「もっと重い病気の人にすまないから」と表立って運動にも参加せず、ひっそりと暮らしてきた山口さんも、現在はがん闘病中です。手帳が更新の時、長崎の被爆の記載だけになった点だけは納得がいかず、後世の人、世界の人にも悲惨さが分かるようにしたいと、広島分の記載追加をお願いしてきたそうですよ。
二重被爆というものがあることさえ知らなかった世界の人たちに、山口さんのニュースは驚きをもって受け止められています。[AP, The Guardian, The Independent, The New Yorker, NYTimes, BBC]関連
Image Credit: The Guardian
Adam Frucci(原文/訳:satomi)
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