やんまあさんの長野県〜宮崎県の旅行記
◆神仏集合@◆磐座・巨石信仰の神社仏閣-随時更新-
- 1日目2018年12月11日(火)
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祭神は導きの神「サルタヒコ」、食物神「宇迦御魂大神(ウガミタミ。外宮・トヨウケの別名)」、海の神「ワタツミ」となっている。古くより神宮参拝前に禊をする習わしがある。
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内宮内にある「四至神(みやのめぐりのかみ)」は、社殿を持たない神社であり、磐座祭祀の形態を残している。この風景を見ると籠神社奥宮・眞名井神社と出雲大神宮の奥宮、玉置神社を思い出してしまう。まさしく、古代祭祀上!!という感じ。
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本殿前の参道は両方に大きな石があり、参道=産道という感じで、子安神社とも呼ばれている。本殿裏に大きな磐座があり、圧巻の大きさと迫力。鳥居近くにあるホルトノキは石を巻いて抱え込んでいる。この石は鎌倉時代に参道の両脇に並べられた石のひとつで、数百年が経ち、木が大きくなって、このように石を抱え込のだとか。
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記紀によるとカグツチ@愛宕神社を産んだときに、お亡くなりになったイザナミは熊野に葬られたとある。日本書紀では三重県熊野市にある「花の窟神社」と「産田神社」で、古事記は島根・安芸市あたりの「揖夜神社」と「黄泉比良坂」となっている。
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日本で2例しかない「依代」が残っている神社。神楽や祝詞などから熊野大社本宮と繋がりが強いとも言われている。ちなみに背後の山には「天の眞名井」があり、磐座信仰がある。イザナミは火の神・カグツチを産んでお隠れになるが、ここがその場所になる。
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社殿の南側には「日月石」と呼ばれる円形と三角形の花崗岩の磐座があり、磐座祭祀が行われていたとされる。周辺の丘陵地には横穴式石室をもつ五基の長野古墳群が確認されている。
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ひなち湖北部の東端部の道路わきに標識に従ってわき道に入る。対向車が来たらTheEndの道の狭さの途中に駐車場風味の車を置くスペースがあり、そこから歩く。祭神は愛宕系「火之迦具土神(カグツチ)」で赤岩尾大神とも言われている。
- 2日目2018年12月12日(水)
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那智の滝で有名だが、ここは水と岩の自然信仰である。境内には磐座もある。
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私の中で熊野=神倉神社です。階段を見た瞬間に「止めておこうか」と一瞬思うのですが、登ってしまいます。登り切った瞬間、達成感と磐座に圧倒されます。日本書紀にて、神倉神社について以下のような記述がある。 神武天皇一行は紀元前3年6月に狭野を越えて紀伊の名草邑に着き、名草戸畔(なくさとべ)という紀伊の女王を誅された。そして、熊野の神邑に至り、天磐盾に登り、更に海を渡るとき暴風雨に遭い、船は波に翻弄されて進まなくなってしまった・・・。」。 熊野の神邑に到着して登った『天磐盾』こそが本神社の御神体である『ゴトビキ岩』だと思っています。
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阪田山祭祀遺跡に鎮座する男女陰陽のレリーフが刻まれた磐座祭祀。祭神はイザナミ・イザナギで、境内から土器など古代祭祀の物が出ており、貴重な遺跡でもある。
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本殿左に「おさる石」があり、この石を撫でると首から上の病に霊験あらたかと昔から言い伝えられています。
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磐座ではなく石庭であるが、はじめ見たときに、「おお~」と思った。ここを見るたびに石山寺を思い出し、元々は古代信仰があり、後に古寺・古社の場所になったと思う。
- 3日目2018年12月13日(木)
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この神社に辿りつけるかは運次第という人もいる近畿半島へそにあり、山頂にあるパワスポ!!参拝したときは、ある政治家が百度参りしていた。そこは、末社「玉石社」で、古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた「玉石」があるところ。 玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座し、社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残している。
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日本三弁天(他は竹生島、江の島)の一つで、5大弁天になると、滋賀・竹生島神社、広島宮島・大願寺、神奈川・江島神社、宮城・金華山神社となる。南朝の崇敬が厚く、また天河社家能楽座の伝統で知られ、芸能人の参拝も多いそうだ。最寄駅の近鉄・下市口駅からバスで1時間ほどで、以前、十津川からここに行ったとき、車一台分の道をひたすら走り、着いた時には疲れ切っていた。本殿は磐座の上に祀られており、境内には、「四石三水八ツの杜」という話がある。これは、四つの天から降った石、三つのわき出る清水、八つの杜に囲まれた神域のようで、この四つの天から降った石・天石の三つを境内に祀っている。
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葛城氏の祖神タカムスヒを祭っており、かなり雰囲気を持っている神社である。水田・稲作に強い技術を持つ鴨氏と組み、葛城王朝を立てたことから重要な神社なのだろうと思わせる。社殿の左脇には土蜘蛛を埋めた跡とされる蜘蛛塚があります。土蜘蛛とは大和の先住民を指し、イワレヒコ(神武天皇)がヤマトに東夷したときも土蜘蛛が邪魔をするなど、悪者役として参上する部族。
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当社地を、天照大神の旧地、大和笠縫邑こと「元伊勢」としていた時期もある。なお、毎年2月第1日曜日に行われる奇祭おんだ祭は有名で、五穀豊穣と子宝を願う。 境内には写真のような石が多く安置されている。
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現在は菅原道真を祀っている神社「与喜天満宮神社」がある。近くの長谷寺では、 与喜山にはアマテラスが降り立ったという伝説が残っており、元々は、アマテラスを祀っており、京都・南山城と同等に、流行で同じ”天神”の菅原道真を祀ったかと思われる。 アマテラスは本殿の向かって左に古代信仰のままに磐座「鵝形石」に祀られている。
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室生寺近くにある室生龍穴神社の横から林道を登ると「天の岩戸神社」が右にあり、もう少し上ると奥宮「龍穴」がある。京都福知山・天の岩戸神社と似た空気感が漂う神社。
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麓に天香山神社と天岩戸神社がある。住所は橿原市南浦町608で、拝殿を左から周れば、本殿はなく、大神神社で有名な三鳥居があると妻がボソリ。たしかに。。でもここは中臣氏繋がりのはず。三鳥居の後ろを見ると天の岩戸が。。確かにそうなるよなという磐座です。
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三輪山頂上の磐座に「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」、中腹の磐座には「大己貴神(おおなむちのかみ)」が、麓の磐座には「少彦名神(すくなひこなのかみ)」が祀られている。標高467mの御神体・三輪山は、禁足地だったが、狭井神社から受付をすると入山出来る。
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768年に称徳天皇の勅命で現在地に社殿が造営されたが、元々は奈良・大神神社と同じく、御神体を山とした信仰の場のようだ。御蓋山の西麓には、南門前(出現石)、御間道側(さぐり石)、寿月観の東側、神庫の西階段、春日明神遥拝所、枚岡神社遥拝所、伊勢神宮遥拝所、龍王珠石、水谷神社、市の井恵毘須神社、石荒神社などの磐座が点在している。山頂には、延喜式内社の「大和日向神社」に比定されている本宮神社が鎮座し、本来はここが信仰の場だったと思われる。 これは、大神神社と似ている。三輪山の頂上にも日向御子神を祀る高宮神社(こうのみや)が鎮座し、その側には奥津磐座が存在する。そして三輪山の麓にも辺津磐座が点在している。最後に祭神は茨城・鹿島神宮から「タケミカヅチ」、千葉・香取神宮から「フツヌシ」、大阪・枚岡神社から「アメノコヤネ」と「比売神(ひめかみ)」が勧請された。因みに「フツヌシ」は物部氏の氏社・石上神宮と同じであることから「伊波比主命」と記していることもある。ただ、本殿周りには摂社として「石上神社」があり、石上神宮から勧請しているのが面白い。
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夜支布山口神社
大柳生町の氏神。祭神はスサノオで、本来は山の神を祀っていたようです。大木があり雰囲気がよく、所狭しと摂社があります。立磐神社、春日神社、戸隠神社、八幡神社など記紀の神様が勢ぞろいです。戸隠神社の背後に磐座あり。
- 4日目2018年12月14日(金)
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広島・厳島神社の鳥居が海にあるのと同じで、ここは琵琶湖の中にある。祭神は導きの神「サルタヒコ」で、全国の白髭神社の総本宮。垂仁天皇の頃に皇女「ヤマトヒメノミコト」が社殿を創建。ヤマトヒメは垂仁天皇の娘で、ヤマトタケルの叔母にあたり、奈良の三輪山西麓に祀られていた天照大御神を現在の伊勢に移した方で、甥のヤマトタケルが東征する際にクサナギノ剣を与えた方でもある。ということで様々なところで出てくるので、今の巫女の総称であろうという人もいる。
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全国の日吉神社の総本山「山王総本宮日吉大社」の境内にも磐座がある。祭神は京都・松尾大社と同じく「大山咋神」となっており、両神社共に繋がりがあることを認めている。 東本宮への参道脇に本宮の神遣い「猿の霊石」があり、白山宮近くにあった磐座、西本宮に至る参道に、牛頭天王が宿る磐境「祇園石(目洗い石)」。大威徳石は 「仏法守護の五大明王である大威徳明王が宿る霊石」と伝わります。やっぱ、比叡山の鎮守社でもあるので、神仏習合が色濃く残っている。
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2016年に33年度の御開帳が行われた!!本尊の如意輪観音は台座は無く磐座に乗っているのにビックリ!!参道の階段を登りきったときに、目に飛び込んでいる石庭(磐座)は最高です!!
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武内宿禰を祀っている。この寺は巨石が多く、元々は磐座信仰の場所ではないかと思った。巨石・磐座がある神社仏閣は古代祭祀が先にあった場所が多く、偶像崇拝導入で社殿が出来たというのが私の根拠のない認識です。
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京都・鞍馬寺「次郎坊」の兄・太郎が鎮座する神社。祭神はアマテラスの御子になっている。本殿前には巨大な磐座の間をくぐることになり、産道(参道。神社版!胎内巡り)という感じ!?
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「奥石(おいそ)神社」と読む。 国道8号より旧中仙道に入り石の鳥居をくぐり 参道を100mほど進むと、正面に奥石神社の社殿が立ち並ぶ。 白洲正子さんは、この神社を繖山山頂にある磐座を遥拝するために造営されたと考えたそうだ。近くには近江富士を御神体とする「御上神社」が近くにあり、そんな感じがする。
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石馬寺は古刹で、水牛に乗った大威徳明王と役行者像、聖徳太子ゆかりの寺で有名。途中、右側に寺があり直進すると山頂に「雨宮龍神社」があり、雨乞いの祭祀をした磐座が点在している。石馬寺のお堂のなかには「雨の龍神」のお神輿がしまわれていることからも雨乞い祭祀で間違いなかろう。
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「このみや」と読み、青龍山の巨石信仰が起源。祭神は多賀大社と同じイザナミ・イザナギ夫婦で、もとは敏満寺(びんまんじ)の鎮守社。敏満寺は聖徳太子開基の天台宗の寺院で廃寺になった。聖徳太子は諸国巡回で八尺五寸の石仏「聖観音立像」を自作したといわれている。この石像は秋に公開される!!
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楼門を入る前に楼門左に注目!!男石と女石があります。男性は男石から女性は女石から目を閉じて、向こう側にタッチできれば、よい出会いがあるそうな!!「やってみ!!」と嫁に言われて、やってみたが、うまくいかなかった。。残念がると「成功しなくてよいです」と言われました。。 祭神は「スクナヒコ」、四道将軍の御一人である「大毘古神」や「仁徳天皇」、「宇多天皇」、「敦實親王」の四座五柱。で佐々木氏の氏社である。伏見稲荷や今宮神社で有名な「おもかる石」っぽいのがあり、拝殿と本殿内の柵内には、なんとまたぐと子宝に恵まれるといわれる「またげ石」発見。またげ石と言えば京都の「梅宮大社」が有名だが、まさかここにもあるとは・・。社務所で夫婦そろって祈祷を受けると跨げます。
- 5日目2018年12月15日(土)
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伊勢神宮・内宮と同じくらい格式が高い元伊勢「籠神社」の奥宮で、THE磐座信仰の場なのだが、パワスポブームで本殿前に柵が設けられ、奥にある磐座点在場所は行けなくなった・・・。
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神谷太刀宮神社
淡路島の某磐座信仰の神社も女人禁制のところがあったが、ここも近年までそうだったようだ。そして、巨大磐座のの1つに二つに割れる系の磐座がある。これは日の落ちる時間、天体、時期などを測ったものとする言い伝えが多い。丹後=伊勢神宮・外宮トヨウケの故郷(別名・アメノミナカ)=外宮のお祭りは「太一(北極星)」ということから、天体に詳しい豪族が噛んでいる地域なのかも。
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元伊勢伝承があり、大江山の鬼退治伝承がある京都・福知山の内宮地域にある天の岩戸神社。記紀の「天の岩戸」の話しの通り、岩戸(巨石)を御神体とし、社殿が近くに建っているのだが、鎖を掴んで登ることになる。
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元出雲とし、磐座が点在している神社。有名なのが、本殿裏に微妙な角度で立っている磐座で、この磐座には若い女性が良く来るパワスポで有名。個人的には奥宮の古代信仰跡がオススメだ。籠神社奥宮・眞名井神社が好きな人は気に入るはず。
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伊勢神宮斎王になると、ここで穢れを落として(清めて)、伊勢に向かう習わしで、それがここである。縁結びの御利益があり、女性陣が多いところ。その中で「お亀石」がある。その御利益は、なでながらお祈りをすると1年以内に願い事が成就するとか。
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松尾山の山頂付近には「御神蹟」という磐座があるそうだ。近年、本殿裏から磐座が発見された。由緒によると、上古には松尾山頂の磐座(御神蹟)で祭祀が行われたといわれるが、『秦氏本系帳』では、701年に勅命によって秦忌寸都理(とり)が現在地に社殿を造営し、松尾山の磐座から神霊を同地へ移したのが創建」になるという。松尾山は別雷山(わけいかづちのやま)とも称されている。。別雷と聞くと籠神社と賀茂社を思い出し、秦氏=松尾大社&伏見稲荷大社で、なにかと繋がりが見える名称だな・・・。
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松尾大社から南に歩くと現れる神社で、松尾大社の摂社・末社。「月延石」は神功皇后ゆかりの安産信仰発祥の石で、古来より、新たな命を宿らせた母は、安く平らかなお産を願って「戌の日」に神社にお参りし、祈願を行うのが習わしだそうです。最後に、この神社は壱岐氏の神社としている、京都=秦氏と賀茂氏のイメージなのだけど・・。
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松尾大社から徒歩10分かな??ここにも皇族所縁の磐座がある。それは「またげ石」で、この石を跨ぐと子を授かったようで、今でも跨ぎに来る人がいるようだ。ということで、ここで子を授かったら、安産を祈りに松尾大社近くの月読神社に行くと完璧ですね。
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私の知る限り全国で2つしかない認識の鳥居(三柱鳥居)で、上から見ると正三角形で真ん中に磐座を置いている。10mほど手前に柵が設けてあり、近づけないが、かつては湧き水のなかに建っていたそうだ。秦氏所縁の神社であり、平安遷都前から存在していることから、古社に間違いはなさそうだ。 祭神には、この世に初めて現れた「天之御中主神(あめのみなか)」、「大国魂神(おおくにたま)」まではよしとして、日向系「穂々出見命(ほほでみ)」、「鵜茅葺不合命@鵜戸神宮」、「ニニギノミコト」と京都では珍しい祭神。ちなみに京都市のお伊勢さんと言われる「日向大神宮」の外宮は「トヨウケ」ではなく「ニニギ」だったことを思い出した。京都右京区⇒京都伏見⇒南山城は秦氏づくしだな。最後に、東側に養蚕と機織の神様を祀る「養蚕(こかい)神社」があることから、通称「蚕の社(かいこのやしろ)」とも呼ばれている。
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本殿正面の磐座。
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目を瞑って直進し、岩に辿りつくと良い出会いがあるらしい!!とテレビでよく紹介されるが、観光地なので、している人はそんなにいないかも。祭神はオオクニヌシの別名「大己貴命」、父「スサノオ」とスサノオ妻「稲田姫命」とクシナダの父母「足名槌命」&「手名槌命」である。日本で初めて結婚式をしたスサノオ夫婦、モテ男・オオクニヌシより縁結びの御利益がある。
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奥宮のは淀川からここまで川を上った船があり、中社こと結社にも「天磐船石」 がある。「水みくじ」など観光地として有名だが、磐座が点在し、記紀に出て来る古社でもある。
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陰陽石を磐座としている。祭神は「天忍穂耳命(あめのおしほみみ)」と「栲幡千々姫命(たくはたちぢひめ)」の夫婦二柱と、その皇子「ニギハヤヒ」の親子三柱となっている。
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伏見稲荷=朱色の千本鳥居となるが、元々は秦氏が山を御神体に見立てた神社である。秦氏といえば松尾大社もあり、こんな古社を複数持っているのは不明。さて、稲荷山の御劔社に「劔石(つるぎいし)」がある。3mの巨石で、注連縄が力強く結ばれている。祭神は「加茂玉依姫」として、加茂氏関係者が祀られているのかは不明らしい。秦氏の古文書では、「加茂玉依姫」は加茂氏ではあるが、秦氏の娘でもあると言う記述があるそうで、秦氏と賀茂氏は近い部族か元々は1つとかいう識者がいるのは、ここらへんの繋がりなんだろうなと思う。
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清少納言がお気に入りの寺であり、東大寺1月堂がある寺なのに、今は参拝客が少ない古寺。。弥勒石の横に2つの巨石が並び、右は文殊菩薩、左は薬師如来としている。
- 6日目2018年12月16日(日)
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大阪府南部と奈良県生駒市との境界近く、国道168号線旧道沿いにあり、天の磐船とされる巨岩を神体石として祀っている。祭神は「ニギハヤヒ」で神武天皇にクニを譲った天神。すでに日本では平和的解決による権威の交代が行われたということになる。「天の磐船」は古事記以前の歴史書と謳う京丹後市武内神社の「竹内文書」によると、神武以前の古代天皇は「天空浮船(あめのうきふね)に乗って世界の空を巡行した」としており、神武天皇の前に王朝があったとし、その一天皇はニギハヤヒとなる。
- 7日目2018年12月17日(月)
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伊和神社の本殿背後に「鶴石」がある。伊和恒郷に大神から託宣があり、驚いて見ると、一夜のうちに杉や桧の生い茂る聖地となり、空には鶴が群れ舞っていたとさ。その鶴が居た石であるそうな。最後に境外摂社・末社「庭田神社」に「霊石」と呼ばれるものがある。
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矢野磐座神社。巨大な三角形の露岩は、京都・松尾大社と同じ。社殿の横には、巨大な座光石。祭神は「磐座神」で、配祀神に「倉稲魂命」と「秦河勝」と「伊弉冊命」と「事解男神」と「速玉男神」と「大国主命」となっている。秦河勝が故郷の松尾大社を思い出して鎮座させたとか??
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「おうしこ」と読む。鎮の石室と呼ばれ、三方が石壁になっており正面が社殿となっている。御神体であるこの石を見るには本殿の下を潜る必要がある!?祭神はオオクニヌシの別名「大穴牟遅」と「スクナヒコ」の二柱。伝承によると天神(オモカネとアマテラス)の命により出雲からこの地へ国土開拓のためにやってきたらしく、その時に鎮座させたとか。
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奈良県天理市の石上神宮から分霊したとのこと。拝殿・本殿裏の磐座が素晴らしい!!拝殿・本殿横からこの磐座近くまで行くことができます。伊弉諾神宮から、車で5〜10分程、西南に向かった低山の中にある。
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石上神社(舟木石神座)
某テレビ番組でも紹介された神社。珍しく女人禁制の石碑がある神社。本殿に参ると大きな磐座が乗っかっており、左の方には祭祀上か依代と思われるものがあった。
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古事記に出てくる「おのころ島」であると伝承されている。島にはおのころ山があっておのころ神社が鎮座している。祭神は「イザナキ」と「イザナミ」であることは、言うまでもない。
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兵庫県西宮市にある越木岩神社。境内奥に甑岩(こしきいわ)と呼ばれる巨大な磐座がある。大阪城の石垣を築く工事が始まった時、この甑岩を城の石垣にする計画が持ち上がり、決行したところ、石切職人たちがのみを打つと突然岩の裂け目から白い煙がもうもうと吹き出した。その白煙にふれた職人たちは苦しみ、役人たちも命からがら逃げ出して工事は中断したそうな。
- 8日目2018年12月18日(火)
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岩上神社
愛知県蒲郡市金平町岩上2。祭神はオオクニヌシ別名「大己貴命」と「サルタヒコ」と面白いコンビ。淡路島の岩上神社の御神体に似ている!!と思った。
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戸隠神社
岐阜県郡上八幡から下呂温泉へ!!途中「道の駅 和良」に行くと、磐座の紹介が!!磐座信仰が色濃く残る神社で、境内には地震で転がっていきそうな奇岩・巨石があちこちに点在する。磐座好きは見逃せないかと思う。雰囲気は伊勢神宮外宮の元宮「天橋立・眞名井神社@籠神社奥宮」に似ているかもしれない。眞名井神社の磐座の空気感が好きな方や京都・亀岡「元出雲 出雲大神宮」、京都福知山「天岩戸神社」、淡路島など全国にある「岩上神社」、「神倉神社@熊野新宮奥宮」好きはどうぞ!!ここは伊勢神楽を行い、山車はアメノウズメ&サルタヒコ夫婦となっており、現在の三重北部から伊勢に関係がありそうなものが多い。
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戸隠神社の総本山。5月でも雪が残っている山の神社で、祭神はオオクニヌシ次男坊「タケノミナカ」となっている。と、同時に龍神も祀っており、岐阜県・和良町にある「戸隠神社」はここから分霊したのでは?と思わせる。
- 9日目2018年12月19日(水)
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奇岩に囲まれ稲荷社がある寺。庭園には注連縄を撒かれた磐座があり、寺内には神社もあり神仏習合が色濃く残る。寺の説明では、この地は弥生時代より管玉の材料である「碧玉(へきぎょく)」の産地で、洞窟は祭祀場でもあったとのこと。そして、境内に、白山神社があるのも面白い。
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飯部磐座神社
福井県越前市芝原5-16-1。祭神は「アマテラス」と「八幡大神」と「サルタヒコ」で境内は磐座祭りになっている。由緒から「土地の豪族伊部造豊持氏が、氏族の磐座祭祀を行ったと伝えられている。」というのがこの神社のはじまり。ここの神社は古墳近くにある。三重の磐座信仰の神社は古墳ありというのは、たまたまなのか??
- 10日目2018年12月20日(木)
- 11日目2018年12月21日(金)
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634年にこの地に鎮座し比メ大神を祀ったのが起源。神社草創は、山頂の大岩に磐座信仰を行っていたと当神社の古記録に見られる。
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岡山県岡山市北区一宮にある備前国の一宮。吉備の中山の北東麓にある備中国の一宮・吉備津神社と共に、大吉備津彦命が主祭神。吉備の卑弥呼説となっている「大倭迹々日百襲比賣命(おおやまとととひももそひめのみこと)」も祀られ、約15分ほど登ると、古くから儀式も行われた吉備の中山で最も重要な場所「磐座」(いわくら)」に到着する。
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高台に佇む鶴形山公園にある「阿智神社」は地元の人には馴染が深い神社。祭神は「宗像三女」で、海の神が祀られている。一帯は16世紀ごろまでは「阿知潟(あちがた)」と呼ばれる海で、この阿智神社がある鶴形山は独立した島だった。陸になったのは江戸初期になってからとか。本殿で祈り、裏に向かうと石で囲まれた磐境がある。その垣根の中には鶴石、亀石と呼ばれる磐座がある。
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奈良・石上神宮の奥宮!!日本で本宮と奥宮でこんなに距離がある神社は珍しいかと。赤磐市石上の大松山中腹に鎮座し、『延喜式』神名帳の備前国赤坂郡「石上布都之魂神社」にあたるとされている。元々は山頂にあったそうで、山頂には大神神社などの古社と同じく、磐座信仰跡が残っている。
- 12日目2018年12月22日(土)
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参道から本殿を右側から行くと奥宮「素鵞社(そがのやしろ)」があり、奥宮の裏には磐座がある。また、東背後にはピラミッド型をした「弥山(神備山)」があることから古社特有の場所に鎮座しているのがよくわかる。ちなみに、出雲大社(杵築大社)は歴史的にはスサノオを主祭神とした時代があり、出雲大社の境内の銅鳥居にはそのことが彫られているので、そういうところもお見逃しなく!!
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来坂神社
島根県出雲市矢尾町799。「くるさか」と読む。祭神は「スサノオ」と妻「クシナダ。それに加えて「オオクニヌシ」と「スクナヒコナ」と出雲風土記のメインキャストが勢ぞろいしている。ここには「スサノオの腰掛け岩」と呼ばれる磐座がある。スサノオがオオクニヌシが大和に国造りをしようとしたときに、この場所に座って、形勢を観望したと言いれている。
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須賀神社から5分くらい車で山の方に向かうと奥宮があり、5分ほど山を徒歩で登ると立派な磐座がある。祭神は「スサノオ」と妻「クシナダ」と御子を祀っている。
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願いが叶う「願い石・叶い石」
- 13日目2018年12月23日(日)
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ピンク色の鳥居が目をひく甫登神社。ここは女性を象徴した奇岩を祀った神社で、安産・子宝を祈りに全国から参拝客が訪れる。対になる男石がある神社は海側に鎮座する「木の根神社」である
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木の根神社
女石の「甫登神社」と対になる男石の「木の根神社」。
- 14日目2018年12月24日(月)
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皇祖「アマテラス」を祭神とする古社で、創建の年月は不明だが、「神明記」や、その他の古文書によれば、日向の国・高千穂に皇孫ニニギの転送後輪時に、ここを通り、千畳敷の磐石から大海原を眺望され、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し祀ったそうな。
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本殿背後に磐座がある。
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昔は神職以外は入れなかった「元宮」が素晴らしい!!山幸が海幸を懲らしめたときのようにお皿に願いを込め投げます。投げ方は@磐境に2礼A平瓮に小声で願い事を唱えB磐境に向けて平瓮を投げます。
- 15日目2018年12月25日(火)
- 16日目2018年12月26日(水)
◆神仏集合@◆磐座・巨石信仰の神社仏閣-随時更新-
1日目の旅ルート
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