ああ眠れない…そこは「睡眠禁止ゾーン」だった
今回のテーマは「睡眠禁止ゾーン」である。なじみのない表現だと思うが、睡眠禁止といっても眠ってはいけないということではなく、眠ろうとしてもなかなか眠りに入りにくい、といった意味合いである。ゾーンとは彼女の前とか会議室など場所のことではなく、生理的に眠りにくい特定の時間帯を指す。
1日の中でどの時間帯に一番目がさえているか、頭がすっきりしているかと問われれば、その答えは人によってだいぶ違う。「朝に冷たい水で顔を洗った後」なんて答えた人も通勤電車の中でグースカ寝てしまうこともあれば、昼すぎの会議で白河夜船をこいでいた人でもアフターファイブをエンジョイできる。かように眠気の強さは日々の生活の中で容易に変動する。
これは疲労度や睡眠不足度が日によって大きく異なるからで、加えてストレス、仕事、運動、食事、喫煙、カフェイン、アルコール摂取などによって眠気(眠りにくさ)は刻々と変動する。しかし、このような生活要因をできるだけ排除した特殊な方法で眠気を測定すると、1日を通じた眠気の強さにはある特徴的な変動パターンがあることが見えてくる。
それを可能にする測定方法の1つが、1日を20分のブロックに細かく分断して各ブロック内での寝付きの良さを連続的に測定する方法で、「7/13分超短時間睡眠覚醒パラダイム(7/13 ultrashort sleep-wake paradigm)」と命名されている。7/13とは20分の内訳で、7分間は暗所で脳波をモニターしながら睡眠をとらせ(眠れなくてもOK)、13分は覚醒させる(眠くても寝かせない)。これを24時間、つまり、72ブロックに渡って繰り返す。私たちも以前この7/13分パラダイムを行ったことがあるが、実に大変な実験である。
さて、この7/13分パラダイムを駆使して、脳波上入眠するまでの時間(寝つきやすさ)、深睡眠量(睡眠ニーズ)、レム睡眠量(夢)が1日のどの時間帯で増減するか精密に測定することで眠気の日内変動パターンが見えてくる。
「睡眠禁止ゾーン」はココだ
下図に示したのはイスラエルの研究者が7/13分パラダイムで測定した1日の眠気の変動である。このデータをじっくり読み解くと、人の睡眠調節(いや覚醒調節と呼ぶべきか)の巧妙なメカニズムが見えてくる。あえて一言で表現すれば、私たちが効率よく活動できるように眠気は実にうまくコントロールされている。結果の解説の前に日常生活で日中に眠気を抑え込むことの意味を考えてみよう。
日中には活動時間に比例して疲労が蓄積する。疲労を解消するのが睡眠の大きな役割の1つである。したがって朝起きてから昼、夕、夜と時間がたつにつれて眠気が強くなるはずだがそうはならない。仕事にせよ学業にせよ、日中の就業時間を通して私たちはパフォーマンスをほぼ一定に維持することができる。そればかりか、必要があれば夕方以降も眠気に悩まされることなく残業や宿題をこなすことができる。これを可能にしているのが蓄積した疲労(眠気)に拮抗する覚醒力である。
7/13分パラダイムの結果を見てみよう。確かに朝から夕方(16時頃)に向けて眠気は徐々に高まっていくが、そのときの眠気は普段の就床時刻(24時頃)での眠気に比べれば軽度にとどまっている。その後も眠気が強まると思いきや、むしろアフターファイブには眠気が低下する逆行現象が見られる。特に就寝時刻の2~4時間前(20~22時頃)は1日の中でも脳波上最も眠りに入りにくい時間帯であり、別名「睡眠禁止ゾーン」とも呼ばれる。
もしも睡眠禁止ゾーンがなかったら
眠気に拮抗する覚醒力がなければ昼頃にはすでに疲労感や眠気に悩まされ、夕方には疲労困ぱい状態となるサラリーマンが続出するだろう。アフターファイブともなればデート中に居眠りをしてビンタを張られる彼氏が街にあふれ、居酒屋は閑古鳥が鳴き、今以上に人口減少と不景気に拍車がかかることになるはずだ。しかし、睡眠禁止ゾーンのおかげで街には昼間以上に元気なサラリーマンやOL、学生諸君が闊歩(かっぽ)している。
睡眠禁止ゾーン以降の展開は急激で、普段の就床時刻の1、2時間前になってから夜間睡眠に直結する強い眠気が一気に出現してくる。脳温は睡眠禁止ゾーン近辺でピークを迎えて覚醒度を支え、その後急降下して眠気の創出に一役買っている。脳温と眠気の関係は「お風呂で快眠できるワケ カギは脳温の変化にあり」でも詳しく説明したので、ご興味のある方はそちらもどうぞ。ほかにも、この時期には血圧や心拍数の低下、催眠作用のあるメラトニンの分泌開始、覚醒作用のある副腎皮質ホルモンの減少など眠るための準備作業が連動して生じる。
睡眠禁止ゾーンを維持している「覚醒力」の源は生物時計(視床下部にある視交叉上核)である。それが証拠に、生物時計を壊した動物では睡眠リズムが不規則になるだけではなく1日の総睡眠時間が増加する。同様の現象は視交叉上核の変性が生じる認知症などでも認められる。生物時計が覚醒を促す神経メカニズムも徐々に明らかになってきているが紙幅の関係から詳細は割愛する。
実はこの睡眠禁止ゾーン、不眠症や認知症の患者さん、施設や病院に入院中の人々、発達障害の子供たちなど多くの人々で睡眠問題を悪化させるトラップになっている。睡眠禁止ゾーンの存在を念頭におけば不眠症状の泥沼から抜け出せることも少なくない。次回(「寝てはいけない時間に眠る人々、その傾向と対策」)は睡眠禁止ゾーンを踏まえた効果的な睡眠習慣についてご紹介する。
1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大精神科学講座講師、同助教授、2002年米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授を経て、2006年6月より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。これまで睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者を歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[Webナショジオ 2015年4月2日付の記事を基に再構成]
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