そもそも役目じゃないというのがそもそもおかしいだろ
それをやらされてるってことはお前はその程度の役目だってこと。
誰がどういおうとね。
それが適切な君の役目なんだよ。
ばかだなぁ
ヘルプするときは、誰のおかげで助かっているのかをきちんと相手に言わせろ
ちゃんと相手のプライドをへし折ってやらないとバカは繰り返す
それが難しいなら相手が拝んでくるまでプライオリティ下げて放置しろ
味覚というより嗅覚だと思う
まあ無難なところでは「ウ」かな? いや官房長官の役割とか知らないんだけども。
ちなみに選択肢「エ」は、問題として不適切。ギャグだとしても、誰も選ぶはずのないサービス選択肢だとしても下劣で、出題者自身の品性が問われかねない。このようなふざけた選択肢は、そもそも設けるべきじゃない。
わらた(;´Д`)記念トラバ
苦行かあ・・・。まあ、仕事が好きだった時期もあるから、苦行まではいかなくとも、「(乗り越えられそうな)修行」と思い直せるまで、年相応に成長できたらいいなとは思う。じゃあこんなとこで愚痴るなよと言われそうだけど、同期がいないもので。
でも以前に比べると、単純に仕事の能力が落ちている。回復しつつはあるのだけど、以前の状態まで戻れるのだろうか。
これまでもうつ症状で苦しんだことはあったけど、ここまで酷くはなくて、毎日苦しくて、それでもなんとか復職できたのだから、復職できないほどに重症の人の苦しみはどれほどのものだろうか。想像できない。
以前の自分が「仕事で疲れた」というとき、それは例えば荷物を背負ってたくさん歩いたから疲れた、ような感覚だったと思うのだけど、
今の自分には、大きめの地震の揺れに耐えて疲れた、というのが一番合っているように思う。足元がおぼつかず、また余震が来るかもという恐怖におびえる。
もしこれが正しいのなら、地震を止めることはできないのだから、必要なのは、揺れても避難できる場所だ。
気分が悪くなって、世界中のいろんなものが醜く見えて、こんなひどい世界で生きていかないといけない自分がつらくなったときでも、
「避難所」は、世界の汚いものだけを見てしまうから汚い気持ちになるということを思い出させるもの。
それは人にとっては宗教かもしれないし、アルコールかもしれない。
なので今夜も「避難所」を求めてさまよう。
貿易センタービルに飛行機で突っ込むより、炭疽菌撒くより、アメリカを困らせることが出来たかも。
ミネラルウォーターにでも入れて飛行機に持ち込んでさ、怪しまれたら飲んで見せればいいし。
ヒトにうつらないなら。
特に、エンディング
ミラクルライトを子ども達がが一所懸命振ってるのがキレイだなぁとか。
ギャグシーンで笑いがおきるのとか。
独りで観ているのでは味わえないもんだから。
発生地域は車両から飛行機まで消毒しなきゃならない陸の孤島になるんでしょ?
一日に100km離れた土地の家畜にうつるほど伝播力が強いウイルスなわけでしょ?
ヒトには感染しないから安心してくださいとか言われても、そもそもそれが問題じゃないんでしょ?
制圧の初動が成功するかどうかで国が傾きかねないことになると思うのだが。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1465831.html
後日談を書こうと思ったんですが。
予想外に反響があって書きにくいです。
特定とかされたらやだなあ。
この4月から、飛び込み営業の仕事を始めた。リフォームの営業だ。
決して好かれる仕事ではない。その程度の分別はある。それでも、どこかにいるはずの家を直したいと思ってる人を探して、毎日足がパンパンになるまで歩いている。
しかし営業成績は芳しくない。そのことで尊敬している上司から、真面目に仕事をしていないのではと言われてしまった。仕事が出来ないことも辛いが、そのことで信用されないのはもっと辛い。
そして父からは、お前みたいなのが来たって腹が立つだけだよ、と言われた。そんな事くらい、言われなくたって分かってる。そんなの、毎日断られてばかりだから分かりきってるし身にも沁みてる。
この不景気にようやく仕事が見つかって、安心してくれていると思っていた。応援してくれていると思っていた。それなのに。
何でだろう、どうしようもなく悔しい。どうしてだかわからないけれど、とても悔しい。
ちくしょう、絶対に結果を残したい。それが出来なかったら、一生後悔する気がする。
極端な例外を出す人間って頭が悪く見える
オ:という叱責を頂いている、そういう思いで全力を挙げて努力しているところでございます。
祖母が亡くなって数年たった中学生の時、母親から「お前のばあちゃんはビッチだった」と言われた。
実際はビッチとは言わなかったけど。
母は祖母の不貞の相手との間にできた子だという。
祖父の出征の時期と誕生日を照らし合わせるとそう考えるほかないらしい。
実際、祖父と母とは全く似ているところが無い。
そしてそれは母が育った地方の農村で、村の暗黙の了解だったそうだ。
どんな気持ちで母親が育っていったのか、祖父母が育てていったのか、想像もつかない。
ただ、夫婦の子である叔母とはかなり差をつけられて育てられたらしい。
私は家族に溺愛された。特に祖母に。
母は仕事をしていたため、祖母に私を預けていた。
母と祖母は、私の関心を互いに引きたがった。
今思うと、実の親子でありながらあれは異様なかけひきだったと思う。
実の母に「おばあちゃんとママとどっちが好きなの?」と問われる。
祖母には父母の悪口をさんざん聞かされる。
父はそんな家族から逃れるように長期にわたって単身赴任を繰り返した。
私は次第に異様な行動をするようになっていった。
耳や鼻に綿をつめる。机の中に潜って固まる。
さんざんいじめられたっけ。
今ならわかる。
子はかすがいと言ったりするけれど、
私は家族としての、形をなんとかつなぎとめた糊のようなものだったんだ。
私というこどもを糊のように使って、私の家族は家族として形をとどめていたんだと。
ずっとずっと、わたしがわるい子だとおもっていたよ。
異様な私のせいで、家族をくるしめていたとおもっていたよ。