2018-11-16

広島長崎原爆投下がなぜ悪いか自明でない理由

戦争で人を殺す兵器のものが悪い→自衛隊自明な悪ということでよろしいか

民間人が死んでいるのが悪い→日本も賛成したベオグラード爆撃やバグダッド爆撃も自明な悪ということでよろしいか

民間人犠牲が大きいのが悪い→日中戦争あるいは日露戦争自明な悪ということでよろしいか

民間人攻撃主体とする攻撃なのが悪い→重慶爆撃も自明な悪であるか、ゲルニカ爆撃をしたドイツとの同盟はどうなのか、風船爆弾自明な悪の兵器である

桁違いの威力兵器であり民間人犠牲が大きいのが悪い→米国核の傘から抜ける覚悟はあるか、北朝鮮中国東京に核を落としても日本人は核報復求めない宣言できるか


いずれも「他人から先に悪事をされた場合自分たちが悪になってもよい」という論破可能だが、それでは「悪」定義付けることがが個々人の気持ち問題矮小化されてしまうし、過剰報復いくらでも正当化するものになるだろう。この場合当然米国原爆投下も悪でありながら行動としては正当化される。

自分にとって一番納得できるのは、「日本降伏直前であり、降伏きっかけもソ連の参戦であったため、原爆を投下しなかった場合に生じる米国軍人の犠牲はごく少数であり、人道的見地からして広島長崎における多数の犠牲者数と見合わない」という歴史家見方だと思う。

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