戦争で人を殺す兵器そのものが悪い→自衛隊も自明な悪ということでよろしいか
民間人が死んでいるのが悪い→日本も賛成したベオグラード爆撃やバグダッド爆撃も自明な悪ということでよろしいか
民間人の犠牲が大きいのが悪い→日中戦争あるいは日露戦争も自明な悪ということでよろしいか
民間人攻撃を主体とする攻撃なのが悪い→重慶爆撃も自明な悪であるか、ゲルニカ爆撃をしたドイツとの同盟はどうなのか、風船爆弾も自明な悪の兵器であるか
桁違いの威力の兵器であり民間人の犠牲が大きいのが悪い→米国の核の傘から抜ける覚悟はあるか、北朝鮮や中国が東京に核を落としても日本人は核報復を求めないと宣言できるか
いずれも「他人から先に悪事をされた場合は自分たちが悪になってもよい」という論破は可能だが、それでは「悪」を定義付けることがが個々人の気持ちの問題に矮小化されてしまうし、過剰報復をいくらでも正当化するものになるだろう。この場合当然米国の原爆投下も悪でありながら行動としては正当化される。
自分にとって一番納得できるのは、「日本は降伏直前であり、降伏のきっかけもソ連の参戦であったため、原爆を投下しなかった場合に生じる米国軍人の犠牲はごく少数であり、人道的見地からして広島長崎における多数の犠牲者数と見合わない」という歴史家の見方だと思う。
anond:20181116024732