作者の意図と作品の解釈の関係にかんする以下の論文がサーベイとして優秀だったので内容をまとめておきます。 Irvin, Sherri (2006). "Authors, Intentions, and Literary Meaning." Philosophy Compass 1(2): 114-128. [pdf] 分析美学では、文学作品の解釈とはどういうものか(あるいはどうあるべきか)の議論は、ニュークリティシズムの代表者であるWimsatt & Beardsley(1946)による意図主義批判とそれに対する意図主義者Hirsch(1967)からの反論から始まったこともあって、作者の意図と作品の解釈の関係をどう考えるかという論点を中心に展開してきた。 この論文では、この論点に対する諸説が以下のようにまとめられている。 極端な実際的意図主義(Extreme Actual Intention
文系は作者の気持ちでも考えてろよwwwという文系に対する典型的な煽りがある。 元々がネタスレ気味な2chのネタなので、「マジレス」するのもどうかと思うが、「本当に文系は作者の気持ちを考えているのか?」について書いてみたい。 これについて書こうと思ったのは、以下の記事を読んだのがきっかけである。 けものフレンズ考察班VS哲学的ゾンビ http://honeshabri.hatenablog.com/entry/philosophical-friends いずれにおいても、根底にあるのは、作者・製作者の意図・気持ちを考察することこそが重要という発想ではないだろうか。 しかし、少なくとも現在の文学において、作者の意図・気持ちを推測・考察することはそこまで重要視されていない。 現在では、神としての作者の意図を探るのではなく、主として、作者から離れた作品そのもの(テクスト)から何が解釈できるかが論じ
「作者の気持ち」問題のネタって別にネット時代に入ってから国語叩きに使われるようになったのではなく、ネット以前の80年代、90年代からあるネタなんだよね。 「自分の書いた文章が国語の試験に出題されたので自分で解いてみたところ、自分の答えは正解ではなかった」ってやつ。 作家本人が自分で話して持ちネタにしてる場合もあるし、周辺の人たちが又聞きという形でネタにしている場合もある。 評論文で筆者の意図を問う問題は普通だし、テストに抜粋された文章だけから読み取る問題と、それ以上の情報を持ってる筆者とでは、答える内容が異なる場合もあるだろうから、実際にそういうケースは主に評論文の試験問題ではよくあるのだろう。 これが伝聞を繰り返すうちに真相が不明になり、「物語で作者の気持ちを聞く問題ってどうなの?」などと国語叩きでマウント取るための道具だけに利用されるようになった。 ※小学生の国語で、例えば戦争文学の授
ドワッジ @dominiasan 先生「メロスを書いた時の作者の気持ちを答えよ」 ぼく「(あっ太宰好きのじいちゃんが言ってた)借金の担保に友人を置いていって自分は金策どころか別の友人と将棋で遊んでた最低行為を美化して作ったものです」 先生「お前は夢がない。居残り」 理不尽という言葉を思い知った日であった 2017-06-26 13:41:08 ドワッジ @dominiasan その後、私の居残り処置を知った祖父がありとあらゆる太宰エピソード書物やら何やら持ってきて学校に乗り込みギャアスギャアスと大騒動に発展したことで見事に翌年から国語の授業で「作者の気持ちを答えよ」が消失したのであった。 2017-06-26 13:46:39
矢野利裕 批評家/ライター/DJ 1983年、東京都生まれ。批評家、DJ。著書に『SMAPは終わらない』(垣内出版)『ジャニーズと日本』(講談社)、共著に大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と二十一世紀年代』(おうふう)など。 「作者の気持ちを答えよ問題」は入試に存在しない じわじわと入試シーズンになりつつある時期です。12月7日(金)放送の『タモリ倶楽部』では、現代文入試を題材にした「作者の気持ちを作者は解けるか」という企画が行われました。ライターの武田砂鉄氏の文章を採用した花園大学の入試問題を「作者」である武田氏を含めた出演者陣で解く、というものです。『タモリ倶楽部』は好きで、毎週欠かさず観ているのですが、この回は特に、現代文の教員として興味深く、また楽しく観ました。 参考:受験業界震撼の問題企画「作者の気持ちを作者は解けるか」作者本人が
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