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0641 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
どのように他人の不幸にかかわれるのか。 こんなにも魅惑の淵がひらいていて、こんなにも困難で、こんな... どのように他人の不幸にかかわれるのか。 こんなにも魅惑の淵がひらいていて、こんなにも困難で、こんなにも誤解をうけやすいことはない。できれば他人の不幸などにかかわらぬほうが楽に決まっている。けれども、どんな他人であれ、他人の不幸と無縁な日々など、どこにもありえない。 九段高校の3年のときである。IFという女生徒に「堀辰雄は読んだ?」と問われた。訊かれたのではない。問われたのだ。IFは続けた。「『曠野』とか『風立ちぬ』とか、それから『聖家族』や『菜穂子』ね」。 なぜ問われたと思えたかというと、ぼくはその女生徒に仄かな慕情を抱いていた。雀斑(そばかす)のある小柄な女生徒だった。ところが彼女のほうは、きっとそんな素振りを見せたのであろうぼくに対して、ただ「堀辰雄を読んだ?」と言ったのだ。 これではまるで、私に何かを寄せたいのなら、まず堀辰雄を読んでからのことよと言われたも同然だった。それに国語の教
2013/07/24 リンク