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現代人、死に方は選べないが死んだあとに起きることは「一生の集大成である」。葬式ラッシュの一年をふりかえり…
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現代人、死に方は選べないが死んだあとに起きることは「一生の集大成である」。葬式ラッシュの一年をふりかえり…
今年は、なんかやたらと葬式が多かった。 親族だったり、近所の人だったり、元同僚や、実家方面のかつて... 今年は、なんかやたらと葬式が多かった。 親族だったり、近所の人だったり、元同僚や、実家方面のかつての同級生だったり。喪服と暑すぎる夏の記憶が重なって、いちばん暑かった時期の記憶が汗とともに軽く飛んでいる。 年齢も、死因も死に方も様々だった。そして何より感じたのは、死後に起きる出来事がものすごくバラバラだったことである。 たとえば、友人にすら悩みを打ち明けずに一人でひっそりと死んでしまった人がいる。 親族は誰も悼まず、葬式にも友人知人は呼ばれなかったが、訃報を聞いた友人知人は事後に悼む会を開いた。 肉親には嫌われていたが、外に作った仲間からは好かれていたパターンだ。 かたや、妻子に恵まれ、親族は立派な葬式を営んでいたが、近所付き合いや会社の同僚関係は最悪で、親族以外はほとんど葬式に来ないか、焼香だけして逃げるように立ち去っていく会もあった。 これは逆に、肉親しか繋がりが残らなかったパターン。