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『赤報隊を偽官軍と認定したのは』
赤報隊の一部が偽官軍とされ、相楽総三らが刑死したのは歴史的事実です。創作された、作り話ではありま... 赤報隊の一部が偽官軍とされ、相楽総三らが刑死したのは歴史的事実です。創作された、作り話ではありません。しかし、彼らが薩長の陰謀で陥れられ云々……というのは作り話です。 実をいうと、赤報隊を偽官軍と認定すべき、決定的な情報をもたらしたのは大山弥介でした。のちに大山巌と名を改めた、私の曾祖父です。 大山巌が明治12年頃に書きかけのままほったらかしていた半生記があつて、原本は国立国会図書館の憲政資料室に保管されていて、申し込めば閲覧できます。↑の画像はイメージ画像で、原本の複写ではありません。 この中で、赤報隊に関わるのは 明治元年正月二十一日予カ二番砲隊ハ東山道先鋒ノ命ヲ奉シ京師ヲ発ス惣督及副督ハ岩倉兄弟ナリ信州諏訪ニ至ルニ及テ小室(ママ)藩ノ官軍ニ背クヲ云フ者アリ予ヲシテ諏訪ヨリ先キニ行テ虚実ヲ糺サシム予ハ小室ニ至リ重役ニ聞ケハ全ク虚説ナリ予再ヒ和田峠ヲ越テ諏訪ニ帰レリ この部分です。大山弥