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「言葉にならない」二つのもの - Arisanのノート
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「言葉にならない」二つのもの - Arisanのノート
以前から、韓国の人たち(特に若者)と交流する場に参加したりしていて、よく思うことがある。 それは、... 以前から、韓国の人たち(特に若者)と交流する場に参加したりしていて、よく思うことがある。 それは、話し合いの場で自分の主張や思いを言葉にすることが、自分や日本の参加者たちには、とくに不得手な人が多いのではないか、ということである。これは、ぼくより下の年代、とくに70年代後半から後ぐらいに生まれた層の人たちには、とくに感じる。 韓国の参加者には、そうした場での発言に慣れた印象の人が多く、言葉の壁の問題は別にしても、そこのところの隔たりによって、お互いにフラストレーションが溜まる、というようなことがあったと思う。 つまり先方は、「日本の参加者は、自分の意見や態度を明確に表現しないので理解しにくく、何か信用できない」と感じ(ているようにこちらには思われ)、またこちら(ぼくのことだが)にしてみると、自分の言い分ばかりを強く主張してくる韓国の人たちの態度に、引け目や圧迫されるようなものを感じ、さらに