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105歳で亡くなった片山豊さん「車は単なる移動の手段ではない」 自動車業界への遺言(井上 久男) @gendai_biz
つい先日、「フェアレディZ」の生みの親として知られる片山豊さんが105歳で亡くなった。これまでに何度... つい先日、「フェアレディZ」の生みの親として知られる片山豊さんが105歳で亡くなった。これまでに何度かお会いして、戦前の満州赴任の話や自動車産業論をうかがった。車をこよなく愛する「カーガイ」だった。最後にお会いしたのは5年前、100歳の時だった。片山さんのご冥福を祈りつつ、片山氏の人生を振り返ってみたい。示唆に富む話が多かった。 第1回「東京モーターショー」開催に尽力 片山氏は1935(昭和10)年、慶応大学を卒業して日産自動車に入社。当時の日産は、その2年前に設立されたばかりだったが、当時としては珍しく片山氏には渡米経験があり、自動車産業の将来性を感じての入社だった。日産は「日本産業」の略。鮎川義介氏が創設した財閥企業「日本産業」の自動車部門として設立。鮎川氏は、その日本産業を満州に移転し、満州重工業開発を置く。このため、片山氏も入社4年後に満州に転勤となった。 そこでの片山氏の仕事のひ
2015/02/28 リンク