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大乗仏教は「啓蒙思想」を超える : 池田信夫 blog
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大乗仏教は「啓蒙思想」を超える : 池田信夫 blog
2024年12月18日12:32 カテゴリ本 大乗仏教は「啓蒙思想」を超える 私の年になると、最大の関心事は死で... 2024年12月18日12:32 カテゴリ本 大乗仏教は「啓蒙思想」を超える 私の年になると、最大の関心事は死である。どう老いてどう死ぬか。その準備を毎日考えている。仏教が日本で広く普及している(信じられているわけではない)のは、この問題に一応の答を出しているからだろう。 それは人生は無意味な「空」なので、生も死も大した問題ではないという死生観である。これをブッダは縁起と呼んだ。私が死ぬ原因は私が生きているからだ、というのが西洋的な因果関係だが、ブッダはこれを否定する。 私が死ぬという出来事は、私が生きていなければありえないので、死は私の生の条件である。人生はこのような無数の縁起(関係ネットワーク)の一つの結節点であり、そこには世界も自己も実在しない。 大乗仏教はこれを論理的につきつめ、中観派の龍樹(ナーガールジュナ)はほとんどウィトゲンシュタインの言語ゲームと同じ理論を展開した。これを著