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宮崎勤の20年。 - DOXA(独立左派日誌)
1989年。時代がダイナミックに変貌していく渦中にあると感じていた僕は、バブルの狂躁に背を向け、「革... 1989年。時代がダイナミックに変貌していく渦中にあると感じていた僕は、バブルの狂躁に背を向け、「革命的冗談闘争」に邁進していた。そんな僕らに冷水を浴びせかけた事件が「幼女連続誘拐殺人事件」での宮崎勤の逮捕だった。 その「M君」の死刑が執行された。最高裁判決確定から2年あまりでの処刑は、過日の「秋葉原無差別殺傷事件」と無関係とは思えない。「オタク」と「性犯罪」を過剰に結びつけてバッシングする風潮は、まさにあの1989年8月から始まっているのだ。「Mの世代」と呼ばれた僕らの後には「サカキバラ世代」なる言葉も捏造されてきている。 1989年10月、宮崎勤の事件に衝撃を受けた僕らは緊急の公開討論会を開催した。 これが当時のフライヤーである。 会場は立ち見が出るほどの満席だった。ラディカル・フェミニズムの闘士からオタク、サヨク、一般市民までが事件について語り合った。中でも印象的だったのは、自己の幼