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光秀は桂川のほとりで「敵は本能寺に」と言ったのか? 新資料報道を受けて - Kyoto Love. Kyoto 伝えたい京都、知りたい京都。
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光秀は桂川のほとりで「敵は本能寺に」と言ったのか? 新資料報道を受けて - Kyoto Love. Kyoto 伝えたい京都、知りたい京都。
令和3(2021)年1月3日、各新聞などで記事が掲載されました。 石川県にある古文書を調べたところ、本能寺... 令和3(2021)年1月3日、各新聞などで記事が掲載されました。 石川県にある古文書を調べたところ、本能寺の変に関わる記述があり、知られざる内容を含んでいたというのです。 書物の名前は「乙夜之書物(いつやのかきもの)」。 加賀藩前田家に仕えた兵学者 関屋政春(せきやまさはる)が記した雑文集で、自筆本全3巻が現存。前田家などを経て金沢市が所有しています。 これまでは金沢城創建に関する資料として注目されていたのですが、別の巻を調べた結果、本能寺の変の記述が見つかりました。 現代の金沢駅前 私は、この書物については今回の報道で知りました。 今後、さらに精査され、内容の信頼性などが確認されると思います。 私は原文も訳文もきちんと見られていませんが、朝日新聞デジタル等の記事には要点がまとめてあり、本文の写真も一部掲載されていました。 たいへん興味深い内容で、この資料の信頼性によっては、認識を改めるべ