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読書メモ:記憶と人文学(三村尚央)…記憶の何が私/私たちにとって切実なのか - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
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読書メモ:記憶と人文学(三村尚央)…記憶の何が私/私たちにとって切実なのか - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
記憶と人文学: 忘却から身体・場所・もの語り、そして再構築へ 作者:三村尚央 小鳥遊書房 Amazon 実家に... 記憶と人文学: 忘却から身体・場所・もの語り、そして再構築へ 作者:三村尚央 小鳥遊書房 Amazon 実家にいたころ、私の母は、毎日欠かさず一行日記をつけていた。それが全部手元にあるので、「何年の何月何日は〇〇していたよ」などと瞬時に調べてみせるのだった。そんなマメさが当時は少々不気味だったが、私もいつからか、日々の記録をつけるようになった(毎日とはいかないけれども)。かれこれノート20~30冊になる。 なぜ記録をつけるのか。あくまで私の場合だが、それは自分の「記憶」が頼りなく、そして、忘れてしまうことに感じるある種の「切なさ」のせいだと思う。別に何の変哲もない日々だし、ことさら鮮明に覚えていたいわけでもないし、正確に思い出せる必要性を感じているわけでもない。しかし今日という時間の流れが「無かったのと同じ」になってしまうかもしれないという、喪失感に耐えられないのだろう。日記を遡って読むこ