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1984年の浅田彰 - 恐妻家の献立表blog
これから息の詰まるような繁忙期が続く予定なので、先んじて息抜きをしておこうと思い、春先に話題にな... これから息の詰まるような繁忙期が続く予定なので、先んじて息抜きをしておこうと思い、春先に話題になっていた『魔法少女まどか☆マギカ』というアニメーションドラマを視聴。 とても面白かった。 私はこのジャンルの熱心なファンではないので、批評はおろか感想もたいしたことは言えない。 作品から直接連想したというよりも、作品から受けた刺激がきっかけとなってあれこれ考えていたら、ふと浅田彰氏の発言を思い出した。 以下、雑誌『理想』1984年8月号掲載の「流体と結晶」と題された座談会記録からメモしておく。 図式としてはほとんどホッブスなんかと近くなっちゃうわけですよね。ホッブスなんかの場合には、欲望というのは個別的な欲望であった。それがジラールにおいてはミメーシス的欲望に置きかえられている。しかし、いずれにしても、そういう欲望を持ってぶつかり合う諸個人たちのありようというのは、解きほぐしがたい矛盾をはらんだ