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「健全者問題論」 - 障害・介助・外傷
昨日大阪集会がおわった。 全部で60名ほど。 かなり密度の濃い集会だった。 こうして、介助者たちが自分... 昨日大阪集会がおわった。 全部で60名ほど。 かなり密度の濃い集会だった。 こうして、介助者たちが自分たちの立場から自分たちの経歴や気持ちや思いを語るということ。 それは、この社会の中で一人の人として生きていくという意志を示す上で、とても重要なことだと思う。 そういう作業なくして、障害者問題を健全者問題として受け止めていくことはできないのではないだろうか? ぼくはなにも障害者抜きに、介助者たちだけが集まってどうこうするということに意義を見出しているわけではない。 また、しばし誤解されるが、介助者の「労働者」としての権利主張を強調することに主眼があるわけではない。 やはり、「労働」以前の、人の自由とか生存・生活などにこだわっていきたい。 そうしたところから、人や社会を見ていきたい。 介助を社会的労働として位置付けること、それを公的介護保障運動はやってきたわけだし、そこにはとても大きな意味があ
2010/03/01 リンク