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殺人博物館〜ジム・ジョーンズ
オウム真理教の第7サティアンが強制捜査された時に識者が集団自殺を危惧したのは、人民寺院の事件が念... オウム真理教の第7サティアンが強制捜査された時に識者が集団自殺を危惧したのは、人民寺院の事件が念頭にあったからだ。912人もの信者が教祖と共に現世を後にした事件である。ところが、蓋を開ければ、麻原はウンコまみれで隠れていた。ジム・ジョーンズとは格が違うなあ、と呆れてしまった。 だからと云ってジム・ジョーンズを褒めるつもりは毛頭ない。末期の彼は明らかに狂人だった。しかし、当初は慈愛に溢れる聖職者だった筈だ。いったい何が彼を狂わせたのだろうか? ジム・ジョーンズことジェイムス・ウォレン・ジョーンズは1931年5月13日、インディアナ州の貧しい家庭に生まれた。KKKのメンバーだった父親は、彼が12歳の時に家族を捨てた。以後、母親のリネット一人の手で育てられた。 彼が生まれた町はいわゆる聖書地帯で、しかもファンダメンタリスト(聖書を文字通りに信じる宗派)が多い地域だった。不遇な彼は信心にのめり込み