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【記録の泉】1955年に勝率・071を記録したトンボとは 晩年のスタルヒンが所属、通算300勝達成
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【記録の泉】1955年に勝率・071を記録したトンボとは 晩年のスタルヒンが所属、通算300勝達成
阪神が4月14日の中日戦(バンテリンドーム)に敗れ、開幕17試合を終えた時点で勝率・063(1勝... 阪神が4月14日の中日戦(バンテリンドーム)に敗れ、開幕17試合を終えた時点で勝率・063(1勝15敗1分け)を記録した。開幕から未勝利を除けば、1955年のトンボと79年の西武の勝率・071を下回るシーズン最低勝率となった。 1年で消滅したトンボ-。創設の発端は53年のパ・リーグが7球団(南海、阪急、大映、西鉄、毎日、東急、近鉄)だったことに起因する。全球団そろっての試合が組めず、財界人の高橋竜太郎に要請し、産声を上げたのが前身の『高橋ユニオンズ』だった。パ7球団から供出された選手は江藤正、深見安博ら陰りの見えるベテランが多く、1年目の54年は53勝84敗3分けで8球団中6位に終わった。 個人の私財で創設された球団だけに、経営はすぐに逼迫(ひっぱく)。55年にトンボ鉛筆と3000万円で1年限りの業務提携をして『トンボユニオンズ』が誕生した。この年、2つの大きな記録が生まれる。 1つ目が3