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<東京写真遺産>1961年11月・勝鬨橋 跳ねる通学路 遅刻との闘い:東京新聞デジタル
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<東京写真遺産>1961年11月・勝鬨橋 跳ねる通学路 遅刻との闘い:東京新聞デジタル
中央の可動部が70度まで上がった勝鬨橋。手前には木造船が写っている=1961年11月、福岡延明さ... 中央の可動部が70度まで上がった勝鬨橋。手前には木造船が写っている=1961年11月、福岡延明さん撮影 空に向かってハの字に跳ね上がった勝鬨(かちどき)橋(中央区)。多いときは一日五回開き、隅田川を上って大小の貨物船が行き来した。管理する東京都によると、橋は一九四〇年六月に完成。輸送手段が船や鉄道から自動車に代わるにつれて開く回数も一日三回、一回と減り、七〇年十一月を最後に開かなくなった。 写真は読者の福岡延明さん(79)=八王子市=が六一年十一月のある朝、撮影した。ラジオで橋がいずれ開かなくなると聞き「写真に残しておかなきゃ」と思い立ち、当時住んでいた三鷹市から日本橋兜町の証券会社へ出勤する前に立ち寄った。「橋が下りて信号が赤から青に変わった途端、わーっと一斉に車が動きだす光景に感動した」と振り返る。