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日本赤軍と東アジア反日武装戦線
日本赤軍と東アジア反日武装戦線 東大、日大闘争を頂点とした全共闘による大学闘争の敗北により、学生た... 日本赤軍と東アジア反日武装戦線 東大、日大闘争を頂点とした全共闘による大学闘争の敗北により、学生たちの間ではシラケが進行していったが、一部のセクトは、急速に過激化、武装化への飛躍を見せるようになった。そのひとつが赤軍派である。東大闘争と日大闘争 1969年(昭和44年)5月、赤軍派はトロツキズムを基盤とした共産主義者同盟(第2次ブント)の中の関西を中心とする武闘路線派から生まれた。それまでの大学闘争、街頭闘争の総括を経て、早急に軍隊を組織して、銃や爆弾で武装蜂起する必要があると、結成した。そのときのメンバーは京大、同志社大、立命館大などを中心とする活動家約400人(うち高校生活動家約90人)であった。その後、9月4日、日比谷野音で開かれた全国全共闘結成大会に、初めて公然と姿を現した。 9月21・22日、武器奪取、対権力攻撃として、阿倍野派出所など3ヶ所の交番に火炎ビン攻撃を加えた「大