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日本人が知らない日本史、想像を絶する虚像と虚構の向こう側 | 日本語の意外な歴史
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日本人が知らない日本史、想像を絶する虚像と虚構の向こう側 | 日本語の意外な歴史
蘇我馬子は、敏達天皇→用明天皇→崇峻天皇→推古天皇という四人の天皇の時代に大臣だったことになっていま... 蘇我馬子は、敏達天皇→用明天皇→崇峻天皇→推古天皇という四人の天皇の時代に大臣だったことになっています。前々回の記事では、敏達天皇の実在性が危うくなってきました。そして前回の記事では、推古天皇の実在性も危うくなってきました。 この二人の間に位置する用明天皇と崇峻天皇はどうでしょうか。やはりとても怪しげです。用明天皇は天皇になって2年ほどで病死します。崇峻天皇は天皇になって5年ほどで大臣の蘇我馬子に暗殺されます。日本書紀によれば、そういうことになっています(以下、日本書紀の一連の現代語訳は宇治谷1988より引用)。 五年冬十月四日、猪をたてまつる者があった。天皇は猪を指さしておっしゃった。「いつの日かこの猪の頸を斬るように、自分がにくいと思うところの人を斬りたいものだ」と。朝廷で武器を集めることが、いつもとどうも違っていることがあった。十日、蘇我馬子宿禰は、天皇が仰せられたという言葉を聞いて