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東山道:もうひとつの「国譲り」
レルネット主幹 三宅善信 ▼縄文への旅は木曽路を越えて 皆さんは、当『主幹の主観』シリーズの記念すべ... レルネット主幹 三宅善信 ▼縄文への旅は木曽路を越えて 皆さんは、当『主幹の主観』シリーズの記念すべき第1作をご記憶であろうか? 1998年4月6日に上梓した『神道と柱』と題する小論である。青森県の三内丸山遺跡(縄文)から佐賀県の吉野ヶ里遺跡(弥生)果ては伊勢の神宮に至るまで、日本人の"柱"に対する宗教的情念というものに焦点を当てて、日本人にとっての"カミ"の正体を探ろうとした。カミや霊魂を数える数詞は「1柱2柱3柱…」だ。このシリーズは、同年6月17日付で上梓された『続「神道と柱」:「ソシモリ」考』では、祇園祭で有名な京都八坂神社のご祭神が、古代の朝鮮半島由来のカミであり、そのカミもやはり「天から高い柱の上に降りてきた」という構造を傍証した。 2年後の2000年4月24日には、『ヤポネシア:日本人はどこから来たのか』で、大阪平野を見下ろす生駒山の麓に鎮座する石切剣箭神社に関連して、神武東