ekkenだけに限らず、その他大勢の人間にも見られてるって意識が低いんだろーな 人前で特定の相手の顔面に向けて屁こいたくせに、臭ぇって言われたら逆ギレしてるようなもんだ ツッコミ受けたくなけりゃmixiにでも行ってトモダチ限定で日記公開してろよって思うわ ま、削除だろうが非公開だろうが他人の発言を操作する奴にロクなのはいないよな 反論する、意見を誘導する(説得する)って真似ができねぇ馬鹿ほどああいう手段を使う 追記 なんかぱらぱらとブクマがついてるが、そんなに面白い(イタ)事言ってんのか? 俺 2007年07月12日 kanose 不思議 気の毒さん2号だ 2007年07月12日 ekken ekken 2007 このバカがすごい! 俺はyukiを例に指して言ってるんだが、伝わってるのかちと不安になったw つかekkenn、それは誉めてんのか貶してんのかはっきりしろw もいっちょ追記 この
2007年01月30日 りんごの実とムラ このムラには大きなりんごの木が幾つもある。このムラのりんごの実はとても栄養が豊富で、一生食べても飽きない味だと思われていて、そのりんごの実と水さえあれば生きていける。 このムラには大きなみかんの木も幾つかある。このムラのみかんの実はそこそこ栄養があるのだが、味がそんなにおいしくないと思われているので、このムラではみかんは食べない。食べてはいけない事はないのだが、みんな食べない。 このムラでは、りんごを食べるのが当たり前であり、このムラのムラビトはみんなりんごが好きだと思っていて、りんごが嫌いだなんてとんでもない話だと思われる。それでも極々たまにりんごが嫌いな人もいる。しかし、このムラではりんごを食べるのが当たり前であり、りんごを食べなくては生きていけないので、頑張ってりんごを少しだけ食べて、後はみかんを隠れるように食べる。 ある時りんごが大好きなム
コミュニティというのはそこからなんらかの活動のしるしが出ているもので、意外に遠目にも目立っていたりします。 ↓下図ではコミュニティの煙がそれにあたります。 ネットのコミュニティとユーザーの関わりはたいていの場合、 ユーザーがどこかのコミュニティに入るか ユーザー自らコミュニティを作るか どちらかとなります。 で、どこかのコミュニティに入るとしても、最初のうちはあまりそんな自覚が出てきません(図の「コミュニティの入り口」を下に進む)。 ところがある程度コミュニティに馴染んでくると、急に視界が開けたように、ひとの多いところへ出た感じがします。これが「コミュニティの第一層」です。多いといったって、おそらく数人でしょう。それでも「入り口」あたりで時々数人と擦れ違うような状態であったことを考えると、コミュニティ感はかなり強くなります。みんなニャーニャー言って楽しい。適度に噛みついたり引っかかれたりし
ムラとか学校とかというコミュニティを電車として捉えてみる 「はてな村」と「kanose村長」の話らへんから思ったんだけど、ちょっと前にも書いたのだけれど「同じ場所」にいるだとか「同じモノ」を使ってるだとかで括られるのってなんか違うよねみたいな。 学校や会社もそうなのだけれど「そこにいく、そこにいる」というのはそこにいる事によって遂行される目的が同一であるという事に過ぎなくて、同じ目的を持っている=仲間でなきゃならないとか友達でないといけないとかそんな事は全然ないんじゃないのみたいな。 これってコミュニティの概念を根底から崩してしまう考え方なのかもしれないんだけど、「日本の国が美しい」だとか「日本の文化が好き」だとか「日本人」って事だけで「愛国心を持ちましょう」みたいな話に繋がる違和感にも似ているような気がするんだよね。 これに気付いたのは電車に乗ってるときの話で、電車っていうのはある目的
断片部 - 結局それだけのことなんだろ - ある種の「キモい人たち」を集めることができたからはてなは成功している suVeneのあれ: ムラ社会、及びムラビトにおける幾つかの勘違い はてなは“はてな村”なのか、という話題について。 はてなの外の人から、はてなのイメージについて直接話を聞く機会があったので書き留めておきたい。 はてなって、どうよ? ブログを書いていると公言しているリアルな知人に、おすすめのブログサービスについて意見を聞く機会があった。 自分がブログを書いていることはひとまず伏せつつ、どのようなサービスが馴染みやすいのかを尋ねてみた。 知人 「ブログって、自分の意見とかがきっかけで友達が増えたりするのが面白いよ。hatayasanもブログやったら楽しいよ。」 hatayasan 「でも、初心者がブログ始めようと思ったら、どんなサービスがいいのかなあ。」 知人 「ゼロから始めるの
2006年11月08日 ムラ社会、及びムラビトにおける幾つかの勘違い 「モヒカン族」に関する言及は最近J-CAST ニュースをキッカケにしていくらか言及される記事を見かけたが(伝言ゲームのように湾曲していっているが)、それに対峙する「ムラ社会」又は「ムラビト」についての言及は“わかりきった事”と思われているのか、さほど目にする機会がない。 しかし、たまに見かける「ムラ社会だなぁ」とか「ムラビト」と指摘されている場面で、「それは違うんじゃないか?」と思うことがたまにあるので、ちょっと考えてみよう。 * ムラ社会の定義 特徴としては「モヒカン族 - ムラ社会」に提示されている特徴がわかりやすいのだが、箇条書きで定義してみよう。 閉鎖的かつ排他的であること 伝統主義であること 結果平等であること 議論・自己主張・指摘を無条件で悪とし、両成敗・謙遜を無条件で善とすること(指摘=人格攻撃と関連) 個
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