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学問に関するforever_blueのブックマーク (4)

  • 博論は宝の山/テーマが決まったら真っ先に博士論文を読もう

    物事の調べ方にはいろいろあるが、新しいトピックだと、なかなか適当な文献が見当たらないことも多い。 先日も書いたが、に載っているのは「最新」の情報ではない。書いたものがになるまでには、かなりの時間がかかるのだ。 さて、研究は「早い者勝ち」の世界だから、誰も手をつけてないことか、まだあまり手がつけられていないことをやることになる。そのため取り扱うトピックはよりマイナーになっていく。 どマイナーなトピックなど、書いても売れないから、書店で買える書籍にはならない。では、それはどこにあるか? 答:博士論文にある。 新しく、いっぱしの研究者になろうとする者が書く博士論文。 新参者が、すでに分厚い先行研究がある(その業界では)メジャーなトピックにチャレンジしようというのは、これまでの蓄積をひっくり返せる何年に一度出るか出ないかという実力者か、単なる勘違い野郎である。 もっと慎ましやかな庶民研究者は、

    博論は宝の山/テーマが決まったら真っ先に博士論文を読もう
  • 10億のアクセスログが描く人類の知の現況図

    ロスアラモス国立研究所のDigital Library Research and Prototyping Teamがつくった「学問の地図」は、論文間の引用統計ではなく、オンライン上の論文やジャーナルを人々がどのように利用したかという実績にもとづいて作成されたものである。 あるデータベースのあの論文やデータを利用した人間の多くは、別のデータベースのあるデータを良く利用している、といった関係から、人の知と情報がどのようなクラスターをつくっているのかを、マップは鮮やかに描き出している。 大学や研究機関等から得た大量(10億件;2006~2008年)の利用ログの分析から浮かび上がる研究(利用)活動の姿は、論文の著者(研究社)のみならず、研究成果のユーザーである実務家などを含む活動が反映されていると考えられる。 とにかく絵を見て(さらにクリックして拡大)。 現在の学問の間の連関が、天球儀のように、あ

    10億のアクセスログが描く人類の知の現況図
  • 第2外国語に何を選ぶべきか?と考えることに意味はあるか?

    結論から先に述べ、次第にどうでもいい話へ進んでいく。 (0)進路その他で履修済であることを要する言語がある場合は、考える必要がない。 次に述べる程度の時間の浪費で済むなら、時間経済的である。 (1)第2外国語に何を選ぼうと90分×20回(16~30回)=合計30時間(24時間~45時間)で身に付く外国語なんてない。 だから何を選んでも語学力という点では無意味である。 (2)数学を「第1言語」とする諸領域では、プログラミング言語を「第2外国語」にすればよい、というか、すべきである。 これなら自然言語に比べ短い時間で効果が出なくもない(だが、現実はいろんな理由で、そうなっていないので、自分でやるしかない)。 IT土方になるためではなく、コンパイラをゼロから作って威張れという話でもなく、自分のアイデアをモデリングしてあれこれ動かしたり、データ処理のツールを改造できたり、場合によっては自作できたり

    第2外国語に何を選ぶべきか?と考えることに意味はあるか?
  • 「問い」を持って読む/あまりに基本的過ぎてあまり触れないこと

    文献を効率的にかつ深く読むためには、「問い」を持って読むことだ。 「問い」を持つものは、程度の差こそあれ、「答え」について予想を持っている。 たとえば、どんな条件を満たせば、答えと言えるのかについて(少なくともある程度)知っている。 だからこそ、「答え」に行き当たったとき、それが「答え」かどうかの判断が付く。 研究の成果として生みだされる文献は、それ自身の問いと答えを必ず持っている。 現代では、その文献が抱える問いと提示する答えは、タイトルや要約(アブストラクト)、序文などに明示されている。 すべて読まなくても、その文献を読むべきかどうか、判断が付くようにだ。 読むかどうかの判断は、当然読み手にゆだねられる。 自身の「問い」を持つ読み手は、こう問い掛けることで、その判断を付ける。 すなわち、「この文献は、自分がいま抱いている「問い」に答えることに、果たして役に立つのか?」。 役に立つと判断

    「問い」を持って読む/あまりに基本的過ぎてあまり触れないこと
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