2019年3月30日のブックマーク (2件)

  • アレクサンドリア図書館 ヒュパティアの虐殺 - 未唯への手紙

    『書物の破壊の世界史』より ヒュパティアをめぐる物語はアレハンドロ・アメナバル監督の映画『アレクサンドリア(原題Agora)』(二〇〇九年)で一躍有名になったので、ご存じの読者も多いだろう。ヒュパティアは学問の専門家になろうとしたがために抹殺された最初の女性だ。彼女の人生を追っていくと、当時のアレクサンドリアの退廃ぶりが理解できる。 ヒュパティアは二五〇年から三七〇年頃にアレクサンドリアに生まれた。父親のテオンは〝哲学者のなかで最大の賢人〟として知られ、アレクサンドリアのムセイオンの重要なメンバーだった。天文学・数学音楽の専門書を執筆し、ギリシャの天文学者プトレマイオスの『アルマゲスト』を注解した『簡易表』を著すなど、定評のある学者だった。同じくギリシャの数学者エウクレイデスの『原論』を編纂し、学生たちのあいだに普及させたのも彼で、その質の高さから東ローマ帝国では何十年にもわたって使い続

    アレクサンドリア図書館 ヒュパティアの虐殺 - 未唯への手紙
  • アレクサンドリア図書館の栄枯盛衰 - 未唯への手紙

    『書物の破壊の世界史』より アレクサンドリア図書館の栄枯盛衰 前二八五年頃、上エジプトでブロンズ色の肌をしたギリシャ人男性がエジプトコブラに噛まれて死んだ。その名はファレロンのデメトリオス。地元当局が地面に横だわった遺体を発見したが、検死をした医師たちには、彼がヘビに手首を噛まれた原因が、自殺か事故か、あるいは他殺かを特定する勇気はなく、沈黙を選ぶことにした。三つの可能性のうち、少なくともふたつは十分考えられることだった。死亡男性は、王位に就いたプトレマイオス二世ピラデルポスから目の敵にされ、アレクサンドリアを追われたばかりだったのだ。死に顔は実年齢よりもずっと老げ、六〇歳から七〇歳に見えたという。遺体は何の敬意も払われず、ディオスポリス近郊のブシリス地区に埋葬された。 デメトリオスの死はその後、何週間も人々の語り草となり、作家や哲学者のなかには残念がる声も多かった。彼は非常に優れた人物で

    アレクサンドリア図書館の栄枯盛衰 - 未唯への手紙