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Jリーグに関するhmikkiのブックマーク (2)

  • 【JFL】日本サッカーを救った男・我那覇和樹のリスタート。「やりきる自信が出てきた」

    現在、故郷の沖縄にあるJFLのクラブ、FC琉球でプレイする我那覇和樹。今季はJ2昇格を目指す 拙著『争うは意ならねど』を出した後、中身を読んでいない編集者などから「なぜ、今、我那覇を書くのか」とよく聞かれた。憚(はばか)りながら、と前置きしてシンプルに答える。サッカーに携わる人たちに知って欲しい事実がそこにあるからです、と。 あなたが、サッカー協会に登録されているプレイヤー(プロは言うに及ばず、18歳以下の第2種、15歳以下の第3種、12歳以下の第4種、女子サッカー40歳以上のいわゆるシニア層、もしくはフットサルに興じる個人登録もすべて含む)なら、ちょうど4年前の今頃を思い起こして欲しい。 2008年の2月1日から、4月までの間にケガや持病の治療のために手術や静脈注射をした方は日中に何人くらいいるだろうか。なぜ、こんなことを問うのか。それは当時、日サッカー協会内でとんでもない医事規

    【JFL】日本サッカーを救った男・我那覇和樹のリスタート。「やりきる自信が出てきた」
  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|ジュニーニョ「川崎とともに成長できたのは幸せなこと」(1/3)

    2003年、“神様からの啓示”を受けたジュニーニョが来日し、スポーツ不毛の地とも言われた川崎市に拠地を置く当時J2だった川崎フロンターレの一員となる。7357人を集めた湘南ベルマーレとの第2節(3月22日)のホーム開幕戦に続く、第4節(4月5日)の甲府戦の観客動員数はわずかに2438人。プロスポーツが根付かなかった川崎の厳しい現実との戦いをスタートさせた。 当初は1年限りでブラジルに帰国するつもりが、気がつけばその契約期間は9年間にも及んだ。そんなジュニーニョがプレーした期間と、川崎が強豪クラブへと成長する期間とが、ぴったりと符合しているのは単なる偶然ではない。彼の得点力がチームに勝利をもたらし、川崎は強さを身につけてきたのである。そのジュニーニョが長きにわたる川崎での生活に終止符を打ち、3286人のサポーターに見送られてチームを離れることとなった。(インタビュアー:江藤高志 取材日:

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