1903年(明治36年)6月26日、岡山県勝田郡湯郷村大字中山(現・美作市中山)に出生。父は阿部良平、母はもりよ。次男。中学教師であった父の赴任により、生後2ヶ月で島根県大社町に移り、さらに9歳のとき姫路市坊主町(ぼうずまち)に移る。旧制姫路中学(現・姫路西高校)を5年制のところを4年で修了し、旧制第八高等学校(現・名古屋大学)文科甲類(英文学科)、東京帝国大学(現・東京大学)英文学科を卒業。兄・公平の影響で文学に近づき、短歌を学んで島木赤彦に接し、またトルストイやチェーホフを愛読する。東京帝大時代にはじめての小説「化生」を大学の文芸部の雑誌『朱門』に発表し、その後、小説を中心に取り組む。1930年(昭和5年)、27歳で雑誌『新潮』に「日独対抗競技」を発表してデビュー。同年、「主知的文学論」を発表、また結婚する。『文学界』1936年(昭和11年)1月 - 10月に発表し同年12月に刊行され