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2008年2月10日のブックマーク (2件)

  • 防火羊水 - 偉愚庵亭憮録

    倖田來未の「羊水」発言(「35歳をまわると羊水が腐る(笑)」云々)について。 ひどい失言だと思う。 単なる不注意で済まされるレベルの話ではない。「軽率」とか「無知」みたいなことでスルーしてもらえるニュアンスの表現でもない。 なにより「腐る」という言い方に、「軽率さ」や「無神経」以上の「悪意」ないしは「嘲笑」が横溢してしまっている点が致命的だ。 よって、責められるのは仕方がない。 企業の広告が手を引くのも当然。 だって広告なんだから。 どこの営利企業が、腐った化粧品を宣伝したいと思うかって、そういう話ですよ。 とはいえ、発言した媒体(←AMラジオ)の気楽さ(およびマイナーさ)から考えると、騒動の波及範囲が不当に大きく、しかも急速であったとは思う。 要は「ブログ」の炎上と同じで、途中から(つまり、ある程度騒ぎが大きくなって以降)は、面白がって煽る連中がカネと太鼓で騒ぎ立てただけの話なのだと思う

    防火羊水 - 偉愚庵亭憮録
    kazoo_oo
    kazoo_oo 2008/02/10
    正論。名前も思い出せないのに宮崎あおいを引き合いに出すのはやめてほしいが。
  • 知的生産の価値や成果物とは - 雑種路線でいこう

    かつて物書きになりたかった僕は、書き手としてどう世界に関わるかについて悩みがあった。それは結局のところ物書きにとっての成果物とは何だろうかという問いである。大学が決まってITライターとして駆け出しの頃、この業界で稼ぐには「文化的雪かき」の如く情報を右から左に流していくしかないように感じた。僕が渇望していたのはそうではなく、自分にとって社会的価値があると考えられる、現実を動かす営為だった。 ここで私は、「知的生産力は、『人が思わないことを、人に届ける』能力」と書いた。あくまで「思わない」であり「思いつかない」ではない。そして「人に届ける」であって「自ら思いつく」ではない。 (略) 徹底的に考え抜くのは楽しいことだし、衝突と再発明を繰り返していれば、人はいやでもそうなっていく。しかし考え抜くことそのものは、知的な行為であっても知的生産ではないのである。誰にも語られぬ熟考は、はっきり言ってしまえ

    知的生産の価値や成果物とは - 雑種路線でいこう