いわてグルージャ盛岡の宮野聡社長。プロを夢見た元サッカー少年は、コンサルファームからの出向で故郷に戻った 【宇都宮徹壱】 盛岡で「Jリーグチームを盛岡に作る会」の動きが始まったのが2003年。そして14年に当時のグルージャ盛岡がJ3に昇格したものの、16年に2年連続の赤字と副社長による横領事件が発覚している。一方、現社長の宮野聡は大学進学のために03年に上京して、故郷のJクラブを救うために16年に帰郷。プロを目指していた盛岡の元サッカー少年は、この13年をどう過ごしていたのだろうか。当人に振り返ってもらおう。 「プロへの夢ですか? 学生時代にバックパッカーをやって、たまたまイングランドのクラブに練習参加したことで、自分の中ではある種の納得感が得られましたね(苦笑)。その後、外交官になろうと外務省を受験したんですけれど、落ちてしまって。そうしたら指導教授に『人生は長いんだから大学院で勉強した