の中世のまちは市の立つ庭として、すなわち市庭 (伊藤毅東大教授はこれを「市場(庭) 」と表現し ている)として成立してきたといわれている。そ こでは公正な取引が保証されていなければなら ず、それは社寺の境内地であるといった異界の存 在によって保証されていた。よく日本の都市には 広場がないといわれるが、中世にまでさかのぼる ならばそのようなことはないといえそうである。 むしろ広場こそ(それもアジールとしての広場こ そ) 、都市胚胎の基盤であった。 ところが近世に至って都市の構成はまったくか わったようである。近世都市の提要は封建領主の 支配がどのように貫徹するかにある。領主の拠点 として都市があったからである。これはいわゆる 城下町である。領主の支配が貫徹するということ は具体的にはどのような空間を構成することなの か。それは時代とともに変化したようである。 戦国期から江戸時代初めのいわゆる
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