30年前、イギリスが実効支配を続ける南大西洋の諸島にアルゼンチンが軍事侵攻して始まったフォークランド紛争について、当時のイギリスのサッチャー首相は、直前まで軍事侵攻を予期できなかったと証言していたことが明らかになりました。 フォークランド紛争は、1982年にイギリスが実効支配する南大西洋の諸島に、領有権を主張するアルゼンチンが侵攻して始まり、2か月余りにわたる戦闘の末、イギリスが勝利しました。 戦闘の終結後、イギリスでは紛争を検証する委員会が設けられ、当時のサッチャー首相が非公開で証言しましたが、28日、その内容を記録した公文書が初めて公開されました。 この中で、サッチャー元首相は「アルゼンチンが、軍事侵攻など、ばかげたことをするはずがないと思っていた」と述べたうえで、実際に起きそうだと知ったのは、軍事侵攻の2日前に機密情報の報告を受けたときで、「人生で最悪の瞬間だった」と証言しました。
日本は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と
死者 649 負傷者 1,657 捕虜 11,313 被撃沈 軽巡洋艦1隻 潜水艦1隻(擱座) 哨戒艇2隻 航空機100機 フォークランド諸島の位置。アルゼンチン沖、南米大陸南端から500km沖に位置する。フォークランド諸島は、東西の主要2島と多数の小島からなる。 フォークランド紛争(フォークランドふんそう、英語: Falklands War、スペイン語: Guerra de las Malvinas)は、南大西洋のイギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)[注 1]の領有を巡って1982年に発生したイギリスとアルゼンチンの間の紛争である。 同年3月、アルゼンチン軍はフォークランド諸島・サウスジョージア侵攻を成功させたものの、これに対してイギリス軍は航空母艦や原子力潜水艦などを含む機動部隊を派遣して反攻に転じ、欧州共同体(EC)の協力も得て6月に勝利した。敗れたアルゼン
両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります
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