吉本伊信(よしもと いしん、1916年(大正5年)5月25日 - 1988年(昭和63年)8月1日)は、内観法(内観療法)の創始者。奈良県大和郡山市生まれ。奈良県立郡山園芸学校(現奈良県立郡山高等学校)卒。実業家出身で、浄土真宗木辺派の僧侶、刑務所の教誨師、篤志面接委員としても活躍した。 内観法は精神医学や心身医学に応用され、森田療法と並んで代表的な日本製の精神療法(心理療法)として知られる。なお、白隠の内観法と区別して吉本内観法と呼ばれることもある。 吉本の創始した内観法(単に内観とも)とは次のようなものをさす。 集中内観と日常内観の2つの段階に分けられる。 集中内観は研修所や病院などの静かな部屋に一週間こもり、外界とのやり取りを制限し、自分とかかわりの深い他者(特に母親が重視される)に対して自分がどうであったかを、次の三つの観点から調べるものである。 してもらったこと して返したこと
西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区本願寺門前町にある浄土真宗本願寺派の本山の寺院。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。本尊は阿弥陀如来。正式名称は龍谷山本願寺、宗教法人としての名称は本願寺である。本願寺住職は浄土真宗本願寺派門主を兼務する。真宗大谷派の本山である東本願寺(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。京都市民からはお西さんの愛称でも親しまれている。 文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建された。その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した(詳細は後述「歴史」の項参照)。 2023年より銀杏と御影堂、阿弥陀堂の2つのお堂をモチーフにしたブランドロゴとともに、「人はひとり。だからこそ、ご縁を見つめたい。」をタグラインとして定めている
親鸞という人は、 世間一般で言われていることとは 逆のようなことばかりを 言っていたような人なんです。 例えば 「善人なほもて往生をとぐ、 いわんや悪人をや」 (善人ですらこの世を去って極楽へ行けるのだから、 悪人は言うまでもなく極楽へ行ける、の意味) という言葉は、テストで 穴埋め問題として出てくるような 有名な一行です。 「□□なほもて往生をとぐ、 いわんや○○をや」 □□と○○それぞれに、 「悪人」と入れるか? それとも「善人」と入れるか? たとえ正解を入れたとしても、 スッと納得できないですよね? ですから、親鸞の言っていることを もっと知りたいという気持ちが 僕たちは、強くなっていく。 そうですね、 親鸞は、言っていることがすべて 知識的に、逆説のように見えるんです。 例えば『歎異抄』 (たんにしょう・親鸞の弟子の唯円がまとめた、 親鸞の語録とされているもの) の中で、唯円が親鸞
他力本願(たりきほんがん) 仏教用語。阿弥陀仏の本願に頼って成仏すること [1][2][3]。浄土教・阿弥陀信仰にて使用される用語。#用法1を参照。 人まかせ、他人依存、成り行き任せの意[1][2]。#用法2を参照。 上記の双方の意味とも、『大辞林』・『広辞苑』などの辞書に採録される語意である。 本来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の本来の用法からして誤解である」[4]、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」[2]と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書[5]もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「本来は~」として用法1の意味を解説する辞書[6]もある。
本願(ほんがん、梵: pūrva-praṇidhāna, プールヴァ・プラニダーナ)とは、仏教において、仏や菩薩が過去において立てた誓願を指す。宿願(しゅくがん)とも言う。菩薩としての修行中に立てたもので、たとえば阿弥陀仏ならば法蔵菩薩としての修行中に立てられたものを言う。 原語のうち「プールヴァ」(pūrva)は「以前の」「過去の」、「プラニダーナ」(praṇidhāna)とは「誓願」(せいがん)[注 1]。 原始経典では「天国に生れることを希願する」というように用いられる。仏教の場合は、絶対者などに対して祈るのではなく、自己への祈りであり、願いである。その意味で、「真実の祈誓」(sacca-kiriyā)であり、真実の実行を意味する。いわば、悟りを開き仏陀たらんとする願いとその実行をいう。 「仏や菩薩が過去において一切の生あるものを救おうとして立てた誓願」の意味が、「プールヴァ・プラニ
悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。 阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生[1]である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。 「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは「阿弥陀仏の視点」による善悪である。 法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。[2] 悪人 衆生は、末法
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2023年11月) 部落問題(ぶらくもんだい)は、明治より前の主として江戸時代における厳しい身分制度の下で下に置かれ差別された身分の人々、さらには、それらの人々が身分制社会の下ではしばしば一定地域に居住することが義務付けられていた為そういった地域の出身者に対する差別あるいはそれを基に発生する諸問題である。「同胞融和(どうほうゆうわ)」から略して、同和問題(どうわもんだい)とも称される。同和利権問題や差別自演事件らも含まれる[1][2][3]。 日本史において、中世から近世にかけて穢多・非人(えた・ひにん)と言った賤民身分が存在していたが、とくに江戸時代には幕藩体制の強化・維持を目的にそれまであった偏見等を利用して身分制度の固定・強化が図られ、こ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "親鸞" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年10月)
井上雄彦さんと制作した親鸞の屏風 「スラムダンク」などで知られるマンガ家の井上雄彦さんが浄土真宗の宗祖・親鸞を描いて話題となった屏風(びょうぶ)が、東本願寺(京都市下京区)大寝殿(おおしんでん)で公開され、平日で平均1000人超、1日で最大2800人が来場し、2時間待ちとなる人気となっている。第1弾の公開が終わる16、17の両日は、東日本大震災支援企画で、ポストカードやポスターを販売する。 屏風は、高さ212センチ、横582センチの六曲一双。親鸞の生き様をテーマに、右隻(右側に配置した屏風)には、苦悩する民衆の中にいる親鸞。左隻には凜(りん)と座っている親鸞を描いた。真宗大谷派が親鸞の750回目御遠忌(ごえんき)を迎えるのを機に、同派が取り組んでいる現代アート事業として制作された。 同派の現代アート事業は、明治44(1911)年の650回御遠忌(ごえんき)には日本画家の竹内栖鳳、700
1588年(天正16年) - (真言宗豊山派) 小池坊専誉が長谷寺を再興。学徒を集めたことで、次第に新義の学山としての傾向を強める。 江戸時代初期 - (浄土宗) 関東の有力な檀林18ヶ寺により自然発生的に関東十八檀林が成立。 1602年(慶長7年) - (真言宗智山派) 玄宥により智積院が再興される。学山としての環境は智積院第3世・日誉の時代に整う。 1624年~1645年(寛永年間) - (天台宗) 上野寛永寺に「勧学寮」を設置。後に「勧学講院」と改称。 1694年(元禄7年) (真言宗豊山派) 長谷寺山内の寮舎や子院の数が64棟に増加し隆盛を極める。 (真言宗智山派) この頃から宝永年間にかけて長谷寺山内の寮舎の数が60棟となり隆盛を極める。 1716年~1736年(享保年間) - (天台宗) 関東に8ヶ寺もしくは10ヶ寺から成る関東天台檀林が成立。 1868年(明治元年) (浄土宗
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浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨で[1]、鎌倉仏教の一つである。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明(顕)らかにされた浄土往生を説く真実の教え(顕浄土真実)[2]を継承し展開させる。親鸞の没後に、その門弟たちが教団として発展させた。 親鸞における「浄土真宗」 親鸞の著書に記されている「浄土真宗」「真宗」(「浄土宗」)とは、宗旨名としての「浄土真宗」(「浄土宗」)のことではなく「浄土を顕かにする真実の教え」(顕浄土真実)であり、端的に言うと「法然から伝えられた教え」のことである[注釈 1]。 親鸞自身には独立や立教開宗の意思は無く、法然に師事できたことを生涯の喜びとしたので、あくまでも詰まるところは法然の教義を根本としている。よって、親鸞における宗義は本師である法然の教義をそのまま弘通することである。事実、親鸞は浄
参院選投開票日を11日に控え、与野党と友好関係にある宗教団体もヒートアップしている。終盤戦は組織力がモノを言うだけに与野党とも宗教団体は頼みの綱となる。宗教団体はなぜ、どんな理由で政治活動に熱を入れるのか−。 終盤戦になり、公明党の支持母体である創価学会にとって今年は創立80周年の節目の年だけに「公明党の復調」を合言葉に組織をフル回転させる。 かつてないほど力が入るのは、池田大作名誉会長が1月の幹部会で「私は今年の年末、戸田(城聖・第2代会長)先生に勝利の報告をすると決めた」とハッパをかけたことが大きい。それでも先の衆院選で自民党とともに下野したショックは大きく、選挙区候補は苦戦を続けてきた。 そんな中、菅直人首相の消費税増税発言は渡りに船だった。「消費税を5%アップすれば年間30万円以上の増税だ。今の民衆からは鼻血も出ない。もう一回お遍路で頭を冷やせ!」。創価学会の各地集会で幹部らが増税
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