戦後、日本の急速な経済復興に伴い、関西の深刻な電力不足が社会問題になっていました。 そこで、当社は、豊富な水量と大きな落差から水力発電の適地とされながら、厳しい自然条件によりダム建設を阻んできた黒部川に、「くろよん」(黒部ダム・黒部川第四発電所)の建設に挑むことを決定したのです。 昭和31(1956)年の6月、黒部川第四水力発電所建設事務所が開設され、8月、まず北大町専用停車場からの資材輸送路「大町ルート」工事に着工。 「くろよん(黒部ダム)」建設での最大の難工事と言われる大町トンネル(現関電トンネル)の掘削工事が、始まりました。 昭和31年10月からはじまった掘削工事。 厳冬中も工事は休まず続けられ順調に進んでいました。 ところが、昭和32年5月、入口から1,691メートルの地点で毎秒660リットル(水深40メートルの水圧相当)もの地下水と大量の土砂が噴き出しました。これは破砕帯と呼ば