# 「コミュニケーション能力」という言葉には2つの意味がある。1つは「波風を起こさない能力」という意味で、もう1つは「腹芸をする能力」という意味だ。両者は意味合いとしてはかなり遠いが、とりあえず同じ記号で表されている。 「波風を起こさない能力」というのは、誰かが考えを述べるたびにおだてて気分よくさせてみたり、誰かが自慢を始めるたびにおだてて気分よくさせてみたり、誰かが怒るたびにおだてて気分よくさせてみたり、そういう行動に疑問を持つ奴をコミュニティから排除したり、誰かが赤信号の横断歩道を渡ったら後をついて渡ってみたり、クラスでいじめられている奴がいたら一緒に蹴りを入れてみたり、大統領が殺せと言ったら殺してみたり、クソゲーだけど金を貰っているので9点付けてみたり、blogでひたすら晩飯のメニューを書いたりするような能力の事を指している。「多数派に埋もれる能力」とか「長い物に巻かれる能力」と言っ
生年:1950 年代 職業:大学づとめ 専門:理系の某分野 興味:いろいろ 好きな場所:北海道 好きな食べ物:一部の醗酵食品を除く全部 グルタミンについて分かっていること。メモ。 1) 核酸塩基の原材料であり,細胞増殖に必要である。 2) そのために,白血球等の血球,腸管粘膜細胞の増殖に必要である。 3) 免疫細胞のエネルギー源となっている。 #以上がグルタミンの役割として現在までに確定していることである。 さらに,このグルタミンは 4) 身体にストレスが加わると,要求量が増大する。 #上の 1)–3) は身体の防御機構である。2) の腸管粘膜は病原体の侵入を阻止する所として重要である。 そこで,ストレスに対抗するために 5) ストレス時に分泌されるグルココルチコイドは筋肉の蛋白質を分解し,アミノ酸代謝を促進する。この際,筋肉に多く含
生活も落ち着いて参りましたので、またボチボチ書いていこうかと思います。 ちょっとだけタイトル変えました。。今後ともよろしくお願いいたします。 不死の本当の意味 一応生命科学の末席に身を置く者として軽く指摘をば。 実際、細胞レベルでは不死はすでにいくらでも見つかっている。一番有名なところではHeLa細胞がある。元々のこの細胞を持っていた人は死んでしまったが、この細胞は全世界の研究所で生きている。この細胞、実はがん細胞だ。 せっかく「死とはなにか」といっておきながら、やっぱり「死」の概念が曖昧ですね。 確かに「HeLa細胞」は今でも研究室で生きています。しかしながら、それは既に何十代にも渡って植え継がれてきた細胞の「子孫」であって、もともとHenrietta Lacksさんに息づいていた細胞ではありません。 通常の細胞は分裂回数に限度があり、ヘイフリック限界と呼ばれています。いわゆる「不死化細
「他人のために死ぬ」という感動ストーリーは、何千、何万もの小説、マンガ、映画で使われてきた。 読者を感動させるよい方法を思いつかないときは、とりあえず、このパターンをつかっておけば、それなりの話に仕上がる。 そして、「他人に場所を譲るために死ぬ」というのも、そのバリエーションの一つだ。 その典型が、よく小学校の教科書などに載っている「ゆずり葉」という詩で、私のような安い人間は、この詩を読み返すたびに、涙が出てくる。 しかし、ひとしきり感動の涙を流した後に、頭を冷やしてみれば、「自己犠牲の感動」という麻酔薬にやられて、肝心なところがいくつもごまかされてしまっていることに気がつく。 それは、ほんとうに自然の法則に従った行為なのか? 「他人のために死ぬ」と公言するのは、本当に人間として美しい行為なのか? そもそも、他人のために死ぬ「必要」があったのか? 「お釈迦様をもてなすため、なんのプレゼント
人間能力の三分類モデル よく言われる 「なぜ、日本ではgoogleみたいな企業が力を持つことは出来ないか。」 「日本企業はGoogleに対抗/競争することは可能か。」 という話。 そのあたりの議論について、 人間の能力の特性には「コザカシイ」・「キグルイ」・「バカ」の三通りのスタイルがある、 というモデル化でキレイに説明できるかもね・・・というネタのメモがこのエントリ。 例によって私、俺理論をしゃべりだすと長いです。すんません。 * おことわりと略語定義 以下の内容は、とある中華料理屋で晩飯を食いながらK氏と話したネタです。 「キグルイ」とか「バカ」とか、調子こいて延々としゃべっていたら、K氏に 「おまえ、聞いていると説得力あるが、用語だけちらちらと聞くと、すげえ危険な差別主義論ぽいぞ」 とか指摘された。 なるほど。 私は 「自分を含めた全人類」 を平等に差別しようと
The US embargo of Cuba began in 1960, a year after Fidel Castro turned this island toward communism. It was extended to food and medicines in 1962, the same year as the showdown with Russia over the installation of missiles there. The embargo has prevented American companies from doing business with Cuba, and discouraged tourism to Cuba. The American government also tried with quite limited succes
つまるところ、その崇高さとは一切関係なく、道徳も、科学的な世界観も、与える愛も、おとぎ話の一種にすぎない。 それらは、神話や宗教のように「子供だまし」のおとぎ話ではないかもしれないが、「大人だまし」のおとぎ話にすぎない。 そして、一切のおとぎ話をはぎ取ると、「無気力回路」や「絶望回路」が作動を開始する。 そのことを、本能的に知っている「賢い」人々は、おとぎ話を受け入れて生きる。 この意味で、科学的な世界観を受け入れる人も、社会的・道徳的な生き方を受け入れる人も、愛する人やもののために生きる博愛主義者も、UFOに乗った宇宙人に永遠の命を与えられたと信じる人も、狂信的なカルトを信じる人も、本質的な違いはない。 そして、一切のおとぎ話をはぎ取った後に現れた「自分」という存在自体もまた、「おとぎ話」にすぎない。 たとえば、「死を恐怖する自分」という存在は、一つのソフトウェアシステムに過ぎない。 ほ
本日未明、日本自治共和国首長速水螺旋人閣下が民族問題に関する重要な提起を行った。 冗談めいた口調はともかくとして、これは結構マジな話ですよ。ネットに於けるКорейский民族への嘲笑があまりにも多いということね。こうしたネタを書いている人の多くは心底のレイシストなんかではなくて、ちょっと面白いからネタにしている、あるいはテレビ等で報道されるантияпонский行動への当然の批判として捉えているのかもしれない。だが、こうした人種・民族を嘲笑して他者化する行為そのものが、中長期的にはポグロムに繋がらないかと速水先生は危惧しておられるわけだ。 具体的な政策や政治体制、政党や圧力団体、企業を批判するのは個々人の自由だ。具体的な個人の批判も名誉毀損にならない方法でならば、まあ、いいだろう。だけれども、民族そのものの批判はどうかと。ましてや民族への侮辱は危険な行為だ。 というのは、民族なるものは
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