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interviewとfootballに関するnobodyplaceのブックマーク (18)

  • オシムが喜んだのは勝利だけでない。「香川は円熟の境地。酒井は力強い」(田村修一)

    前日にアシマ夫人との電話で、日対コロンビア戦後にイビチャ・オシムに試合の論評を聞くことを確認した。ところが試合後の記者会見を終えて電話をすると誰も出ない。アシマ夫人の携帯にも繋がらない。ようやく夫人と話ができて、状況を尋ねるとオシムは試合を見終えて寝ているという。9時にキックオフのロシア対エジプト戦に備えて仮眠を取っていたのだった……。 試合の直前に再び電話をした。すでに起きていたオシムは、ロシア対エジプト戦を前に日対コロンビア戦を語った。日の勝利に彼は、いったいどんな思いを抱いたのか……。 1人ひとりが自分のなすべき仕事をした。 ――元気ですか? 「君も元気そうでなによりだ」 ――はい。試合は見ましたか? 「結果は妥当で、日は勝利に値する試合をした。とても素晴らしい勝利だった。しかも決して侮ることの出来ない相手に対する勝利だ。 たしかに判定に助けられた部分はあった。1人選手が多い

    オシムが喜んだのは勝利だけでない。「香川は円熟の境地。酒井は力強い」(田村修一)
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    nobodyplace 2018/06/23
    田村さんのオシムインタビューはいつ読んでも内容とは別にすごく感慨深い。代表監督就任当時、随分ダメ出しもされてたし、それでも追っかけて一生懸命聞いてる田村さんの姿勢が好きだった。良い関係だなあと思う。
  • W杯で得た喜び、クロアチア戦の悔恨 柳沢敦が語るキャリアと未来<前編>|コラム|サッカー|スポーツナビ

    2014シーズン限りで19年間のプロ生活にピリオドを打った名ストライカーがいる。鹿島アントラーズの黄金時代を築き、京都サンガF.C.、ベガルタ仙台の成長の礎を作り、02年日韓、06年ドイツと2度のワールドカップ(W杯)に出場した柳沢敦である。 富山第一高校時代から「超高校級」と言われた若きFWは1996年に鹿島入り。2年目の97年から徐々にレギュラーに定着し、98年元日の天皇杯決勝では増田忠俊、マジーニョと彼のゴールで3−0と横浜フリューゲルスを撃破。初めて自身が原動力となってタイトルを獲ることに成功する。この活躍を買われ、直後には岡田武史監督(現FC今治代表)率いる98年フランスW杯大会に向けた代表候補に抜てき。98年2月のオーストラリア戦(3−0/アデレード)で国際Aマッチデビューを果たし、一気にスターダムにのし上がる。 残念ながら98年フランスW杯の出場はかなわなかったが、その後の

    W杯で得た喜び、クロアチア戦の悔恨 柳沢敦が語るキャリアと未来<前編>|コラム|サッカー|スポーツナビ
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    nobodyplace 2015/03/25
    誰かが真っ直ぐに聞いて上げる必要はあっただろうなあ
  • 遠藤保仁が、激動の1年を振り返る。「今季はキャリアハイじゃない」(佐藤俊)

    天皇杯決勝、モンテディオ山形を3-1で下しトリプルクラウンを達成すると、遠藤保仁は、ホッとしたような表情を見せ、今野泰幸らと握手を交わした。 「やっと1年が終わったという感じだね」 2014シーズンすべての日程が終了し、思わずこぼれた言葉には1年間フルに戦い切った実感がこもっていた。 遠藤にとって、今シーズンは大きな目標が2つあった。 ひとつは、ブラジルW杯で南アフリカW杯以上の成績を残すこと。もうひとつは、J2からJ1に昇格したばかりのガンバ大阪で優勝争いに絡み、タイトルを獲ることだった。 ガンバでは、1月の沖縄合宿、2月の宮崎合宿ともに順調にシーズンの準備が進んでいた。宇佐美貴史が2月下旬に負傷し、8週間もの離脱を余儀なくされたが、遠藤にとっては主力がケガをすることもある意味想定内のことで、さほど深刻には捉えていなかった。 しかし、エースの不在は思った以上の痛手だった。Jリ-グ開幕戦の

    遠藤保仁が、激動の1年を振り返る。「今季はキャリアハイじゃない」(佐藤俊)
  • 「シンジ、マドリーに来ないか?」モウリーニョが香川を誘った日。(豊福晋)

    インタビューをしていると、時として思いがけない発言に出くわすことがある。 こちらがまったく予期していなかったことを話し始めたり、想定外の意見がでてきたり……。インタビューというものは話の流れをある程度計算して進めるものだけれど、そういった部分に関しては計算ができない。そして当に面白い話というものは、大体がそんな予期できないところから生まれるものだ。 今回、10月下旬にロンドンでセッティングしたジョゼ・モウリーニョとのインタビューでもそんなことが起きた。 取材も終盤に差し掛かった頃のことだ。モウリーニョはふとある話を始めた。 それは香川真司についてだった。 「実はまだレアル・マドリーの監督だった頃、私はカガワの獲得に動いていた。実際に我々は彼と話をした。ぜひレアル・マドリーに来てほしい。このチームで一緒にプレーしないかと」 モウリーニョが実際に香川と接触していた――。 香川のドルトムントで

    「シンジ、マドリーに来ないか?」モウリーニョが香川を誘った日。(豊福晋)
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    nobodyplace 2013/11/15
    "彼がマドリーに来ることはなかったが、私はできることをトライした。彼のプレースタイルが好きなんだ" なんとまあ
  • 伝説のサイドバック・マルディーニが長友を語る「長友は実にうれしい驚きだった」 | サッカーキング

    [サムライサッカーキング 2月号掲載] ミランはもとより、この四半世紀のイタリアサッカー界の“シンボル”。カルチョにおけるサイドバックの意味を知り尽くすパオロ・マルディーニが、インテルで躍動する日人サイドバックについて熱く語った。長友佑都は、この“レジェンド”のハートも既に奪ってしまったようだ。 インタビュー・文=クリスティアーノ・ルイウ 翻訳=宮崎隆司 写真=Getty IMages, AFLO サイドバックは体力、集中力ともに激しく消耗するハードな仕事だ ──始めにサイドバック(サイドバック)の“レジェンド”である君に聞きたい。ここ10年ほど、このポジションの難易度は格段に上がっているように感じるけど、その難しさとは一体何だろう? マルディーニ(以下M) それはやはり、走力と戦術眼を90分間、攻守にわたって持続させなければならないという点だろうね。僕がサイドバックを主戦場としていた頃

    伝説のサイドバック・マルディーニが長友を語る「長友は実にうれしい驚きだった」 | サッカーキング
  • スペインリーグ初の日本人オーナー、坂本圭介が夢見る「和製欧州クラブ」。(木崎伸也)

    「私たちはサバデルで、日の子供たちを受け入れる体制を 作っているところです。将来、サバデルで5、6人の日人選手が プレーする時代が来てもおかしくないですよ」 坂圭介(スペイン2部・CEサバデルのオーナー) しばしばメディアでは、第一報が間違っていたがために、事実とは異なる情報が一人歩きし、それが定着してしまうことがある。スペイン2部、サバデルのオーナーに関するニュースが、まさにそうだった。 2012年6月、スペインの複数の新聞が次のニュースを報じた。 「日投資家グループがサバデルの買収に動いている」 日の一部のスポーツ新聞も、それを翻訳する形で記事にしている。実際に7月に買収が完了したときも、「日投資家グループがクラブの株の51%を取得した」と報じられた。 しかし、この報道には誤りがある。なぜならサバデルを買収したのは、投資家でも、グループでもないからである。 サバデルの新

    スペインリーグ初の日本人オーナー、坂本圭介が夢見る「和製欧州クラブ」。(木崎伸也)
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    nobodyplace 2013/03/25
    すごいなあ。頑張って欲しい。
  • 【インタビュー】吉田麻也「欧州の敷居はそれほど高くない、一番大事なのはメンタル」 - サッカーキング - 世界のサッカー情報サイト

    VVVフェンロ、ザック・ジャパンでも不可欠な存在となった吉田麻也。海外挑戦への思いや異国の地で身を持って感じたことを明かす、サッカーファン必見のスペシャルインタビュー。 写真=千葉 格 練習も生活も日と違うのは 当たり前何事にも動じなくなった ――海外でプレーするようになって、一番成長したと思うところは? 「何事にも動じなくなりました。こっちでは日と違ってなんでもパーフェクトに進むわけじゃないということは、練習中でも生活でも感じます。人種も歴史も違うから、生活や文化が違うのは当たり前なので、そこに反応してイライラしてしまうと自分が苦しくなりますからね。環境のよしあしとは関係なく結果を残さないと上り詰めていけないので、あまりいろいろなことを気にしなくなりました」 ――もともと物事をきちんと考えるタイプだったんですか? 「同年代では、まともだと思います(笑)。僕は実家が長崎なんで

  • 【インタビュー】ライアン・ギグス「いまだにユナイテッドに夢中さ」 - サッカーキング - 世界のサッカー情報サイト

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    nobodyplace 2011/11/17
    ライアン・ギグス。かっこいい。
  • <五輪代表連続インタビュー#1>GK・権田修一 「僕は今のチームの一体感を大事に戦いたい」 (佐藤俊)

    A代表とU-22代表両方のチームの空気を知る権田修一。オリンピックは1996年から4大会連続出場しており、今回ロンドン五輪出場が決まれば5大会連続となる 権田修一は、2009年の12月にA代表に初招集されて以来、ワールドカップ 予選に帯同し、今年3月からはロンドン五輪代表も兼務している。権田は清武弘嗣、原口元気らよりもひと足早く、A代表の薫陶を受けてきたのだ。両代表を知る権田は、両チームの違いをどのように見ているのだろうか。そして、A代表の経験が五輪代表にどのように還元されると考えているのだろうか。 ――権田選手がA代表と五輪代表で一番違いを感じたのはどういう部分? 「スイッチの入り方ですね。A代表は、スタジアムのロッカールームに入った瞬間にスイッチが入る感じなんです。音楽を聴いている人もいればストレッチしている人もいるけど、これから戦いに出るんだという気持ちを研ぎ澄ましている感じ。みんな

    <五輪代表連続インタビュー#1>GK・権田修一 「僕は今のチームの一体感を大事に戦いたい」 (佐藤俊)
  • <独占インタビュー> フレドリック・ユングベリ 「直感を信じて日本に来た」(田邊雅之)

    放射線への恐怖で退団した外国人もいるJリーグに、 突然スターがやってきた。アーセナル黄金期を支えた 男は、なぜ自らとは無縁の異邦で戦うことを選んだのか。 「清水エスパルス、元アーセナルのフレドリック・ユングベリと契約」。このニュースは日国内はもとより、世界各国でも大きく報じられた。Jリーグに久々にやって来た大物外国人選手に、来日の理由や日サッカーの印象、今後の抱負を聞いた。 ――今回の移籍は驚きでした。まず、日に来ることを決めた理由から教えて下さい。 「日に初めて来たのは日韓W杯の時だったけど、すごい国だと思ったし、文化の奥深さや日の人たちの親切さに感心したから、機会があればプレーしたいと思っていたんだ。 他の理由としては、震災やアフシン(ゴトビ監督)のサッカー観に共感したことも大きい。彼は自分が追求しているビジョンだけじゃなくて、地震や津波の後、Jリーグの観客動員数が落ちている

    <独占インタビュー> フレドリック・ユングベリ 「直感を信じて日本に来た」(田邊雅之)
  • <独占インタビュー> 小野伸二 「僕はゴトビ監督の期待にもっともっと応えていきたい」(田邊雅之)

    キャプテン就任時に「監督がやろうとしていることを実現できればきっといい成績が残せると思います」と断言した小野伸二。今季は、新生エスパルスとでも言うべきチームを率いて、生まれ故郷からリーグの頂点を目指す 開幕時には「J2落ちもあるんじゃないか……」とまで言われたチームだった。 元イラン代表監督のアフシン・ゴトビを招聘した今季の清水エスパルス。変革は監督人事だけでなく選手たちにも及び、大量の選手たちが清水を去った。 新生エスパルスにあってキャプテンの小野伸二は、今、何を思うのか? ハイテクと高度な戦術を駆使して国際舞台でも活躍してきたゴトビ監督とは、どのような人物なのか? 上位を虎視眈々と窺っているキャプテンに、チームの現在位置を聞いた。 「シーズンを折り返した時点で僕たちが6位にいるなんて、だれも予想していなかったんじゃないですか? むしろシーズンが始まった頃の状況を見て、このチームはやばい

    <独占インタビュー> 小野伸二 「僕はゴトビ監督の期待にもっともっと応えていきたい」(田邊雅之)
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    nobodyplace 2011/08/16
    前半終わって6位、清水エスパルス変革の裏側
  • ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本” vol.02「引き出しを増やす」| SAMURAI BLUE | 日本サッカー協会

    での暮らしが快適なのは代表チームの足取りとも関係があるのでしょう。就任してから、しっかりと成長を遂げている。その手応えを十分に感じています。 日に来てから記者会見などで、「日の選手は上下関係を重んじるから、監督の指示には忠実だけれど、自分から進んで殻を破るようなことはしない。だから自発的に何かをさせるには苦労するのではないか」とか「日の選手には外国に対してどこかコンプレックスがあるように見えるか」というような質問をよく受けました。 しかし、今のところ、私はそういう面で苦労や不便を感じたことはまったくありません。少なくとも、これまで代表合宿で私が見てきた50人ほどの選手たちは皆、自信を持っている選手ばかりです。責任を持ってやり抜くという日の選手の態度は当に素晴らしいものです。DFたちは攻撃にも、アタッカーたちは守備にも意欲的に取り組んでくれます。「ここから先はオレには関係ない」

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    nobodyplace 2011/07/13
    キリンカップをどう使うかという部分が論理的でクリアだから信頼できる。筋の通った説明が出来る、そこが今までと違うんだよなぁ。
  • 新たなサイクルの始まり|ジョゼ・モウリーニョ(レアル・マドリード監督) - サッカーキング - 世界のサッカー情報サイト

    [インタビュー | ワールドサッカーキング 11.06.16(No.181)掲載] “優勝請負人”ジョゼ・モウリーニョは1年目から手腕を発揮し、レアル・マドリードに3シーズンぶりのタイトルをもたらした。新たな時代の幕を開けた指揮官が、激動のシーズンを振り返る。 インタビュー・文=ピーター・スジネーター 翻訳=阿部 浩 アレクサンダー ジョゼ・モウリーニョは有言実行の男である。レアル・マドリード就任1年目からタイトルを取ると宣言した名将は、宿敵バルセロナを破り、コパ・デル・レイの優勝トロフィーを手中に収めた。欧州王者となったバルサを“史上最強”と称賛するなら、そのバルサの3冠を阻止したこのトロフィーの価値を認めないわけにはいかない。チャンピオンズリーグでも、王者バルサを最も苦しめたのはマンチェスター・ユナイテッドではなく、モウリーニョ率いるR・マドリードだった。 もちろん、モウリーニョ

  • 宮市「夢を与えられるプレーで日本を勇気付けたかった」/インタビューPart1 - サッカーキング - 世界のサッカー情報サイト

    アーセナルからフェイエノールトへレンタル移籍し、12試合3得点3アシストの記録を残した宮市亮。クラブ関係者やサポーターたちから絶大な信頼と人気を獲得した日の若きサムライは、『フェイエノールトTV』のインタビューに応じ、オランダでの生活や3月に起きた東日大震災について語っている。 -オランダでの生活は? 「来る前から楽しみにしていました」 「一人で初めて生活するわけですけど、一人で生活することは楽しいですし、異国の地で生活することが初めてなので楽しいです。サッカーでも毎日、自分が成長できていると感じていたので当に楽しい」 「ホームシックは全然なくて、こっちの人たちに良くしてもらっているので自分が恵まれていると感じています」 -普段は何をしていますか? 「ユーチューブで動画を見たり、チームメートのステファン(デ・フライ)の家へ行ったり、ご飯に行ったり。クリスティアン(シモン)

  • 感謝を忘れない長友「あのゴールはクラブとサポーターからのプレゼント」 - サッカーキング|世界のサッカー情報サイト

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    nobodyplace 2011/03/08
    なんかもう長友のコメントが一流選手のそれになってて凄いw
  • 長友インテル入団会見、一問一答 - サッカーキング|世界のサッカー情報サイト

    チェゼーナからインテルに加入した日本代表DFの長友佑都が4日、ミラノ郊外のクラブ施設で入団記者会見を行った。 ―インテルに入団できたことをどのように感じていますか? 「世界一のクラブだと思うし、自分が憧れていたクラブなので、入団できて嬉しい。とても光栄に思います」 ―チェゼーナに移籍して、日本代表でアジアカップを制して、インテルに移籍と、成長の過程が早すぎるとは思いませんか? 「問題ないです。夢や目標を立てて逆算してやってきているので」 ―見ているとインテルの選手と昔からの知り合いのように冗談を言い合っているようだが、インテルに来て印象に残っていることは? 「スタッフやチームメートがすごく親切だということ。サッカーだけでなく、普段の生活から素晴らしいクラブだなと思っています」 ―プレースタイルを教えて欲しい、あとはプライベートではどんな人間ですか? 「ストロングポイントは1

  • <カメルーン戦秘話>真相。~初戦勝利の舞台裏~(佐藤俊)

    6月14日カメルーン戦。 迷走していたチームは、なぜひとつにまとまったのか。 遠藤保仁の証言で貴重な1勝を振り返る。 「ロスタイム、4分もあるのか」 カメルーン戦、掲げられたボードを見た遠藤保仁は、思ったよりもロスタイムが多いなと思った。スタジアムには時計がなく、なんとなく時間を推し量っていたが、正確には掴めていない。ベンチからも時間の通知はなかった。 日は、カメルーンのパワープレーの脅威にさらされている。だが、4年前のドイツW杯、オーストラリア戦で味わった「いつかやられる」という恐さは感じなかった。 「いけるでしょ」 遠藤は、勝利を確信していた。 実はこの試合、中盤の遠藤はキックオフから7分が過ぎるまで一度もボールに触れなかった。 「出足から(田)圭佑の頭を目掛けて、けっこうロングボールを蹴っていたからね。まあ最初はセーフティにやって、失点したくないという気持ちが強かったんだと思うけ

    <カメルーン戦秘話>真相。~初戦勝利の舞台裏~(佐藤俊)
  • イビチャ・オシム氏がオランダ戦を回顧 - 2010 FIFA ワールドカップ - Yahoo!スポーツ×スポーツナビ

    スカパー!オフィシャルコメンテーターを務めるイビチャ・オシム氏がオランダ戦を振り返った 【(C)スカパー!】 ――前半は集中して守っていたが 守備は規律を守ってよくやった。だが、もっといいプレーができたはずです。攻撃ではボールをもっと速く動かすことができれば、もっと速いパスで相手をもっと余計に走らせることができたと思います。そして最後の部分で、フィニッシュの精度が問題なのですが、もっとコレクティブな攻撃ができなかったのかと思います。もっと勇敢にアタックするべきだった。サッカーは得点を競うスポーツですから、物足りない。日本代表の選手たちはオランダを怖がっていた印象があります。オランダが怖がるような攻撃ができていなかった。日に欠けていたのは殺し屋の能、チャンスがあったら絶対にそれをものにするという気迫です。それがないから勝てなかった。 ――今大会の中で戦い方を変えていくことで世界と互角

    nobodyplace
    nobodyplace 2010/06/20
    クールで知的でそれでいて情熱的で、そして可愛らしい人なんだよなぁ…
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