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人生に関するomumeronのブックマーク (2)

  • tapestry::reikon - さよなら目標

    十代後半から二十歳代にかけては、自分の将来に対して「こうなりたい」という大きな目標をいつも掲げては挫折を繰り返し、結局、「さえない自分」でしかない現状にため息をつく日々でした。それなりに仕事お金はもらっていたし、人づきあいも楽しんではいたけれど、自分の「なりたい」からは程遠く、そんな状況に対して常にジレンマ、焦りを抱いていました。三十歳の頃、自分よりも何倍も強い意志を持ち、掲げた目標に対して努力を惜しまずに猛進していく人たちと出会う機会がありました(その代表格は結婚した相手です)。その人たちとの出会いによって、これまでの自分がなぜ「さえなかったか」が手に取るように分かり、自分の中にあった意味のないプライドがズタズタに引き裂かれました。ああなんだ、自分は身の程をわきまえず、根拠のない自信ばかり持って高い目標を掲げ、それに対して努力もせず、目先の快楽に走る日々を送っていた軟弱者だったんだ。学

  • 長尾のブログ2.0: 人を賢くしないもの

    このエッセイもどきの当初のタイトルは「Googleの功罪」というものだった。 Googleを代表とする検索エンジンにひどく危険なものを感じはじめているからである。 でも、ある理由で変えてしまった。 先日「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」(森健著 アスペクト 2005)というを書店で偶然見かけて何気なく目次を見たらまったく同じタイトルの章があったのだ。 驚いて、つい買って読んでしまった。 このにはいくつかの誤りが見受けられるが、一貫してこのネット社会(さらに言うと、監視社会だそうである)に自らの意思に関わらず埋没してしまっている人たちに警鐘を鳴らしている。 僕はこれまでどちらかというと技術を提供する側が考えるべき点についてばかり論じてきており、技術を使う側が心しなければならない点についてはあまりちゃんと言ってこなかったような気がする。 今回はその点を反省しながら、少し論じてみた

    omumeron
    omumeron 2005/10/24
    なんとなく反省。
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