古今亭菊之丞(公式) @kikunojorakugo 芸のこと、酒、芸人としての生き方。 色々なことを教えて下さいました。 あくまでも寄席芸人で、気取っていず、それでいてスマートでシャイで茶目っけがあって。 素敵な芸人さんでした。 もちろん芸は超一流、国宝にしたかった。 師匠 本当にありがとうございました。 #林家正楽 #紙切り pic.twitter.com/v320DZ2tcs 2024-01-26 12:32:15
実験的な落語家が出会ったレコードという「実験場」「恋のホワン・ホワン」はひと昔前まで数万円のプレミアが付き、過去に2度リイシューされたほどの人気盤だが、これが三遊亭円丈の「リハビリテーション」というアルバムからのシングルカットだということはあまり知られていない。中村に円丈のアルバム制作を持ちかけたのは音楽評論家の大鷹俊一だという。 「大鷹さんは円丈師匠のブレーンだった方と飲み友達だったそうで、『円丈に何か面白いことをさせたい』という話になったそうなんです。それで『じゃあレコードでも出してみようか』となって、当時トリオレコードでディレクターをしていた私に声がかかったんです」 当時の円丈の状況を補足すると、1978年に真打ち昇進した直後に師匠である三遊亭圓生が主導した落語協会分裂騒動に巻き込まれ、落語界の最大派閥である落語協会を脱退。「リハビリテーション」が制作されたのは、79年に圓生が逝去し
三遊亭円丈が亡くなった。 寄席や落語会でこの人を見かけるたびに、「伝説の人」とおもって眺めていた。 円丈は、私にとっては生前からすでに伝説上の落語家だったのだ。 名人と呼ばれる落語家たちはいつの時代もいる。 客を沸かせ、魅了し、うまいなあと唸らせる人たちである。 ただ、その人が出現したことによって落語そのものの歴史が変わった、という人はそう幾たりもいない。 元禄期の鹿野武左衛門、天明期の烏亭焉馬、明治初期の三遊亭圓朝など、彼らは自ら落語そのものを創作し、それを多くの後継者たちに伝え、落語そのものの形態を変えていった。 まさに斯界の「巨人」とも言うべき人たちである。 私がおもうに、三遊亭円丈はその流れにある特異な落語家である。 彼は確実に落語の流れを変え、21世紀の落語世界の新しい流れを作った。 寄席で彼を見るたびに、「この人はもはや伝説の噺家なんだよなあ」と眺めながら、同時に「にしてもあい
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斬新な発想の新作落語を数多く発表して人気を集めた落語家の三遊亭圓丈さんが先月30日、心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。 76歳でした。 三遊亭圓丈さんは名古屋市出身で、1964年に六代目三遊亭圓生の元に入門し、「ぬう生」を名乗って落語家の道に進みました。 1978年に真打に昇進して「三遊亭圓丈」となり、斬新な発想を生かした独自のスタイルの新作落語を次々と発表して人気を集め、「グリコ少年」や「悲しみは埼玉に向けて」など、生み出した作品は300を超えるとされ、後進の落語家たちに大きな影響を与えました。 また圓丈さんは、日本各地の神社を巡ってこま犬の書籍を出版するなど、こま犬の研究者としても知られていました。 落語協会によりますと、圓丈さんは先月30日、心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。 76歳でした。
川柳川柳は名人・三遊亭圓生の弟子であった 川柳川柳が亡くなった。90歳である。 川柳川柳と書いて「かわやなぎ・せんりゅう」と読む。 落語家である。 もとは三遊亭圓生の弟子で、三遊亭さん生と名乗っていた。 昭和53年、圓生が落語協会を脱して別の協会を作るときに、弟子であったにもかかわらず「さん生」はそれについてついていかなかった。 落語協会に残ったため、圓生に言われて名前を返上した。 会長の五代目柳家小さんらと相談のうえ、あらたに「川柳川柳」と名乗った。洒落た名前である。 「重い空気」をひっくり返す芸人 寄席でよく見かけた。 明るく突き抜けた芸風で、重い空気の客の前に出て来ても「よーし、笑わせるぞ」と気配が横溢で、ときには実際にそう言葉に出して、とにかく盛り上げる芸人であった。 寄席では、次々とお笑い芸人が出てくるのだが、ときどき、何かのめぐりあわせで、すべての芸人が「すべり」続けることが起
落語家の三遊亭多歌介(さんゆうてい・たかすけ)さん(本名・栗原史郎=くりはら・しろう)が27日午後2時40分、新型コロナウイルス感染症のために亡くなったと29日、落語協会が発表した。54歳だった。東京都出身。通夜・告別式については未定。家族も感染して療養中だという。 【写真】千葉真一さんコロナ死 面会制限厳しく次男・真栄田郷敦も最期をみとれず 落語協会では感染時期などを確認中だが、17日には東京・上野の鈴本演芸場の寄席に出演していたという。 多歌介さんは83年に3代目三遊亭円歌に入門。前座名は「歌ちわり」だった。89年に二ツ目に昇進し「三遊亭歌風」を襲名。98年に真打ちに昇進をして「三遊亭多歌介」と改名した。主な持ちネタに「師匠の十八番」「浪曲社長」など。
テレビやラジオで活躍中のタレント・伊集院光さん(53)が、落語家の三遊亭円楽さん(71)とともに6月13日、東京・よみうりホールで開催された「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」で落語を約30年ぶりに披露。高座後の2人に「落語家復帰した経緯」や「落語家をやめた時の師匠からの言葉」などの話を聞きました。 落語家復帰の理由は女子アナの意外な一言約30年前まで三遊亭楽大(さんゆうてい・らくだい)という名前で三遊亭円楽さん(当時:楽太郎)に弟子入りし、落語家として演芸番組『笑点』の若手大喜利に出演するなど、二ツ目になるまで活躍していた伊集院さん。落語家復帰のきっかけについて伊集院さんは「僕のラジオに(円楽師匠が)出てくれたんですけど、そこに女性アナウンサーが『あの~伊集院さんってもう落語やっちゃいけないんですか?』って生放送で聞いたんですよ、そうしたら円楽師匠が『本人やりたきゃやればいいじゃん』って話か
さて、何から話せば良いだろうか。高校浪人という名の穀潰しをしていた2000年に『爆笑問題カーボーイ』を聞き始めた。ある回で「今週の宝船」という、爆笑問題の二人が、与えられたテーマでトークをし、最後にキーワードを決めるというコーナーで、伊集院光がそのお題となったことがあった。その時に、太田は、伊集院の引き出しの多さを語り、そこからキーワードは「薬局にある棚」になったと記憶している。伊集院光の存在こそ知ってはいたものの、ラジオが面白いという情報は持っていなかったので、それがきっかけで『深夜の馬鹿力』を聞き始めたと思う。恐らくその少し後に、伊集院光が「オールスター感謝祭」で太田光がデヴィ夫人のゼッケンをつけて走ってて最高だったというトークをしたと思う。そこらへんは、友人から音源を録音したMDを借りて見ないと分からないが、まだまだこの時は、伊集院光と爆笑問題には、それなりの距離があったはずだ。「だ
【福岡】トラックの荷台を高座に改装して寄席の出前に走り回る「落語カー」を、北九州市が拠点の落語家、橘家文太さん(34)が完成させ、5日にお披露目した。移動販売車などの製作を手がけるヒートウェーブ社(福岡県遠賀町)が全面協力した。文太さんは、道の駅や学校、高齢者施設など九州各地に「生の落語」を届けたいと意気込んでいる。 「皆さんのお力でこの車が完成した。ここからは私が頑張るところ」。文太さんは5日午後、北九州市八幡東区の高見神社で開いたお披露目会で、集まった数十人のファンらに話した。 落語カーは、奥行き約4メートル、高さと幅が約2メートルの荷台を持つ1トントラックを改装した。高座の壁はうぐいす色、天井は植物を編み込んだ網代天井、床は畳をそれぞれ模した壁紙やビニール素材を張り「和」の雰囲気を演出した。 ふすまで隔てた楽屋には2人掛けの椅子や折りたたみ式のテーブル、エアコン、冷蔵庫、音響機器が備
どの落語家も、なんだかんだと講釈たれやがるけど、芝浜、短命、死神、駱駝てな鉄板はやるし 誰のを聞いても話の筋は変わる訳じゃねぇんで、どれか一回聞けば十分てなもんで、似たようなのを何回も聞いたって面白くも何ともねぇ しかも落語のメインキャストといやぁ、タイトルしか記事を読まないはてなブックマーカーもびっくりの阿呆ばかりと来た日には まともな人間は、こっぱずかしくて聞いちゃいらんねぇんだよ 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは この百人一首の意味が分からねぇと言う阿呆に、更に輪をかけた阿呆の爺さんが 千早って花魁が、力士龍田川を振った。妹の神代も振ったけど、そのご神代も落ちぶれた。 龍田川が開業した唐揚げ屋にやってきた神代が、唐揚げ恵んでくれと頼んだけれど 龍田川はふざけんじゃねぇと追い返したところ、川に入って自殺してしまった と説明するってバカな話が、ちはやふるって演
【追記】 この増田を書いたもの(不要不急の落語力https://anond.hatelabo.jp/20210430164235)ですが、トラバ&ブクマついてて嬉しい。みんな割と落語好きだったか。もしくはラジオ好きだったかそれとも両方か。円楽&伊集院落語すごい楽しみだけどどうせチケット取れないだろうから配信してくれないだろうか…と毎晩お星さまに祈っています。 それはともかく、落語好きな人はもうとっくに知ってると思いますが、明日5/3と、先明後日5/5に、鈴本演芸場、浅草演芸ホールの二つの定席がYoutubeで寄席の生配信をすることになったようです。 公式からの案内はこちら https://www.youtube.com/watch?v=woQRIp1OBSo (鈴本演芸場&浅草演芸ホール 席亭より皆様に緊急のお知らせ) 5/3 鈴本の出演者はこちら お昼の部 http://www.raku
東京都内の寄席4軒と落語協会、落語芸術協会が、緊急事態宣言による都の無観客開催の要請に応じず営業を続けている件で、寄席側は28日、一転して5月1日から11日まで休業することを決めた。 寄席側は24日、「社会生活の維持に必要なもの」と主張し営業の継続を発表。一方、西村康稔経済再生担当相が26日の記者会見で「支援策を活用して休業要請に応じてほしい」と休業に理解を求め、落語ファンでもある加藤勝信官房長官も27日、「さまざま不満もあると思うが協力してほしい」と発言していた。 東京都は28日午前、無観客の要請に応じない場合は休業を要請すると寄席側に伝え、寄席側が再協議していた。また、「政府関係者から間接的に休業を要請された」と話す関係者もいる。
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