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2008年12月27日のブックマーク (5件)

  • 子供から動画を取り上げた

    小学校低学年の長男と幼稚園児の次男によくパソコンをさせてた。 自分がいる時にだけ電源をつけてインターネットに接続し、子供にマウスを渡すのだ。 キッズ向けのコンテンツって結構豊富だ。キャラクターや小学生向け雑誌のページをお気に入れてあげて、子供たちで見れるようにしておいた。そういうサイトでは、オリジナルの簡単なゲームや、子供向けのオリジナルアニメなども配信されていたりする。 もちろんグロ画像や性的描写は無くって、安心してパソコンを使わせていた。幼稚園の息子もマウスを巧みに操り、器用にゲームをしたりするのを「この子は憶えるのが早いなあ」とか親バカ的な視線で眺めていた。 長男は、新たに見つけたサイトをお気に入りに入れ、どんどん新しいサイトを開拓していた。まだローマ字入力も出来ないので、長男の新サイトの開拓は、もっぱらリンクを辿る事で行われていた。時々長男の開拓したサイトを見ていたが、特に問題とな

    子供から動画を取り上げた
  • オタクにありがちな思考法・文章のつづりかた:アルファルファモザイク

    編集元:おたく板より「オタクにありがちな思考法・文章のつづりかた」 1 おたく、名無しさん? :2006/04/11(火) 09:14:34 どんなのがある? 7 おたく、名無しさん? :2006/04/12(水) 15:11:21 話す女性全てが恋愛対象になる。 8 aniotasan ◆RtFjHNfLK6 :2006/04/14(金) 02:57:29 それはないな 9 aniotasan ◆RtFjHNfLK6 :2006/04/15(土) 06:56:44 から始まってみる。 続きを読む

    sakamuke07
    sakamuke07 2008/12/27
    >>24
  • インターネットに向いていないこと

    年末なのに法律の勉強している。むしろ仕事が休みに入ったので今しかできないと言える。 ちょっと気になる事例があったので、具体的な内容を知ろうと検索をかけたら驚いた。 はてなではない他の質問回答サイトで、ある法律の事案についてのベストアンサーがあったが、 それが全部間違えていた。 僕も勉強中の身分だが、今の仕事に関係する内容なのでこれははっきりと間違いだと断定できる。 何故間違えているのにベストアンサーなのかというと、おそらく質問者が法律の解釈の正当性よりも、 どれだけ自分に都合の良い解釈であるかを基準に選んだからだろう。 これだけを見れば、ただただ間抜けな出来事であるだけだが、むしろ今まで考えてきたことのヒントを得た気がした。 世の中には「インターネットは不正確な情報が氾濫している」という説と、 「むしろ一面的な情報が流れていないので正確である」という説が対立しているようだが、 むしろ両立し

    インターネットに向いていないこと
    sakamuke07
    sakamuke07 2008/12/27
    "何故間違えているのにベストアンサーなのかというと、おそらく質問者が法律の解釈の正当性よりも、 どれだけ自分に都合の良い解釈であるかを基準に選んだからだろう。"
  • 努力の成果に向けられる不快感 - よそ行きの妄想

    なんか勉強系の話題が流行っているようだ。 何かにつけて、後出しの自分定義によって我田引水をはかるみっともないアルファブロガー(笑)の話はおいておいて、以下に引用するエントリーは少し興味深い。 たとえば体育や音楽でずば抜けた能力をもつ場合、その子は胸を張っていられる。 でも、「お勉強」の教科に秀でている場合、その子はそれを無邪気に誇りに思うことはできないばかりか、後ろめたいことのようにすら思うことを強制させられる。 この非対称性は、なんなのだろう? どうにも不思議だ。 なぜ、かけっこが速くてもいじめられないのに、勉強ができるといじめられるのだろう? ぽりあんてな 確かに、小学校や中学校において、「お勉強」の成績がいいことについての評価が、走る速さなどの身体的な能力に対するそれと比べて、相対的に低いということについて、私にも思い当たる節はある。私は意外といじめられたことはまったくないのだが、成

    努力の成果に向けられる不快感 - よそ行きの妄想
    sakamuke07
    sakamuke07 2008/12/27
  • 才能がない、ということに気がつくということ。

    今って、クリエイティブな仕事に就こう!という風潮が強くて、誰でも学校とかに行けば「そうなれる」かのような幻想が満ちあふれている。恥ずかしながら、自分もそうだった。だから、以下に述べるようなことは自己責任の産物でもある。 押井守さんの『凡人として生きるということ』という新書で、「まず最初は自分には何の可能性もない人間なのだと実感すること」というような記述があったけど、この文には現実認識という意味でも、人生における処世術、という面でも、賛成する。 別に絵が描けなくたって、文章が書けなくたって、それが誰にも認められなくたって、死ぬ訳じゃあないけど、それを自分の心のよすがにしてきた人間には、自分にはその分野で活躍していくような技能も才覚(つまりは才能)がない、と気がつくことはとてつもないショックを伴う。 自尊心を保つために「これは趣味」なんだから、という風に納得してみせたような顔をするのも、何か自

    才能がない、ということに気がつくということ。
    sakamuke07
    sakamuke07 2008/12/27
    後半