子供のころ、8月というのは死のイメージに彩られていた。 6日と9日は原爆投下の日であったし、偶然にも終戦の日(とされている、昭和天皇の玉音放送があった日)が、死者の霊を招き入れる旧盆の8月15日だった、ということが決定的に死を身近に感じさせた。 私は詳しい経緯を知らないが、もしかしたら、連合国側ではポツダム宣言調印の9月2日を終戦の日としている国が多い中で、あえてこの日にしたのは、どこかで旧盆という古来からの死者の日の心理的影響もあったのではないか、とも思えてくる。玉音放送のインパクトは大きかったにしても、だ。 私が育った山間部の田舎町では、お盆というのはやはりかなり重要な行事で、旧家の門口には提灯が飾られ、仏壇の前にはカラフルな回り灯籠が置かれ、夜ともなると綺麗だった。13日から16日頃までは家全体に線香の香りが漂っていた。 それは死者と過ごす数日間のニギヤカシでもあった。 盆の間は「地
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