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文学に関するsin16wakiのブックマーク (18)

  • 自由人の系譜 宇野千代「生きて行く私」(1) : 同伴者の本棚

    宇野千代と聞いて、何を想起するだろうか。 艶やかな着物姿のハイカラでモダンなおばあちゃんを、であろうか(宇野千代は着物のデザイナー、プロデューサーでもあった)。あるいは、幾多の男性遍歴で名を馳せた女流作家としての彼女を、であろうか(五度の結婚歴があった。註)。もしくは、名作「おはん」の作者としてであろうか(「おはん」は、第五回野間文芸賞、第九回女流文学者賞を受賞した)。 もし、あなたが女性ならば、晩年のベストセラー「生きて行く私」を、たちどころに思い浮かべるのかもしれない。宇野千代という女性の放つオーラと生きざまに共鳴しながらの、ひそかなる羨望とともに。 (註・うち一人とは、入籍はしていなかったようだ。) 「私は去年八十四歳になって、始めてテレビに出た。それまでは、テレビに出るのが可厭(いや)であった」 八十四歳の自分の顔が、精巧なテレビカメラに堪えられるのか。何の抵抗もなくしゃべられるも

    自由人の系譜 宇野千代「生きて行く私」(1) : 同伴者の本棚
  • 造語 - 夏目漱石 - Wikipedia

    夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)は、日小説家、英文学者。武蔵国江戸牛込馬場下横町(現:東京都新宿区喜久井町)出身。名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏。 明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日に通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日文学の文豪のうちの一人。代表作は、『吾輩はである』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。明治の文豪として日の千円紙幣の肖像にもなった。講演録に「私の個人主義」がある。漱石の私邸に門下生が集まった会は木曜会と呼ばれた。 大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学んだ。帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊で第五高等学校教授などを務めたあと、イギリスへ留学。大ロンドンのカムデン区、ランベ

    造語 - 夏目漱石 - Wikipedia
  • ウィリアム・シェイクスピア - Wikipedia

    スザンナ・ホール(長女) ハムネット・シェイクスピア(長男) ジュディス・クワイニー(次女) ウィリアム・ダヴェナント(次男?、落胤?)[1] ウィリアム・シェイクスピア(英語: William Shakespeare, 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日[2](グレゴリオ暦5月3日))は、イングランドの劇作家・詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている[3]。 出生地はストラトフォード=アポン=エイヴォンで、1585年前後にロンドンに進出し、1592年には新進の劇作家として活躍した。1613年ごろに引退するまでの約20年間に、四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『

    ウィリアム・シェイクスピア - Wikipedia
  • 訃報:丸谷才一さん87歳=作家・文化勲章受賞- 毎日jp(毎日新聞)

    暗くじめじめとした私小説的文学風土を敢然と拒否し、豊かな教養を背景に「笹(ささ)まくら」や「たった一人の反乱」など、知的で明るい物語性に満ちた小説を書き続け、評論や翻訳でも知られた作家の丸谷才一(まるや・さいいち、名・根村才一=ねむら・さいいち)さんが13日、心不全のため東京都内の病院で死去した。87歳。葬儀は近親者のみで営み、お別れの会を後日開く。 山形県鶴岡市生まれ。東大英文科卒。自然主義が重んじられる日の文壇に反発。1952年にはグレアム・グリーン「不良少年」を翻訳、64年にはジェームズ・ジョイス「ユリシーズ」を共訳し、注目された。軽快で面白い長編市民小説を自らの目標とし、長編「エホバの顔を避けて」(60年)でデビュー。徴兵忌避者を描いた長編「笹まくら」(66年)は高い評価を受けた。「年の残り」(68年)で芥川賞を受賞。 その後も「たった一人の反乱」(72年、谷崎潤一郎賞)、「裏

  • Postmodern literature - Wikipedia

  • ポストモダン文学 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ポストモダン文学" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2012年1月) ポストモダン文学(ポストモダンぶんがく、英語: postmodern literature)は近代文学の特徴に反する特徴を持つ文学のことである。 近代文学は無矛盾性、秩序性、明晰性、簡潔性、建設性、独創性、普遍性などの特徴を持つ。これに対し、ポストモダン文学は物語の矛盾を肯定的に含んだり(むしろ物語は常に矛盾を含むものである、といった姿勢)、時間軸の無秩序性、衒学性、蕩尽性、記号性、全面的破壊、模倣、大きな物語の終焉、普遍性への懐疑、自己の解体等々であ

  • 日本の近現代文学史 - Wikipedia

    明治維新後、西洋の思想や文化を取り入れる文明開化が推進され、文学にも大きな影響を与えた。言文一致運動もその一つである。言文一致の結果、日語の書き言葉は、それまで日文学において重きをおかれていた漢文の伝統から切り離され、明治中期には現代の日語の書き言葉に直接連なる文体(「だ・である」調と、「です・ます」調)が確立した。文学という語自体、翻訳語として創り出されたものであり、この頃に現在一般に使われ私たちが考える文学という概念が生まれた。 第二次世界大戦の敗北の後、日語の表記には現代仮名遣い・新字体化という改革が行われ、全国規模のメディアの発達によって、日文学にさらに大きな変化がもたらされた。 福澤諭吉 1868年に明治時代(1868年 - 1912年/明治45年)となって以降、西洋文明の輸入により長い西洋の思想・文学の翻訳と紹介を中心とする啓蒙時代が始まった。森有礼の呼びかけで発足し

    日本の近現代文学史 - Wikipedia
  • 新感覚派 - Wikipedia

    新感覚派(しんかんかくは)は、大正後期から昭和初期にかけての日文学の一つの流派[1][2]。1924年(大正13年)10月に創刊された同人誌『文藝時代』を母胎として登場した新進作家のグループ、文学思潮、文学形式を指し、おもに当時の横光利一、川端康成、中河与一、片岡鉄兵、今東光、岸田國士、佐佐木茂索、十一谷義三郎、池谷信三郎、稲垣足穂、藤沢桓夫、吉行エイスケ、久野豊彦らを指すことが多い[3]。 『文藝時代』創刊時、評論家・ジャーナリストの千葉亀雄が同人の言語感覚の新しさにいち早く注目し、『文藝時代』創刊号の印象を『世紀』誌上で評論した上で[4][5]、彼らを「新感覚派の誕生」と命名して以来、文学史用語として広く定着した[6][7]。モダニズム文学として注目された新感覚派は、同年6月に創刊されたプロレタリア文学派の『文芸戦線』とともに、大正後期から昭和初期にかけての大きな文学の二大潮流となっ

  • モダニズム文学 - Wikipedia

    では昭和初期から欧米の文芸作品、超現実主義などの文芸思潮の紹介を介して根付いた。横光利一、川端康成などの新感覚派の作品、吉行エイスケや龍胆寺雄などの風俗的なモダン趣味、現代詩初期の運動などが、日のモダニズム文学の出発点と考えられている。小説の分野ではモダニズムの影響は表層的一過的であったが、現代詩の分野では、詩誌「詩と詩論」などの昭和初期のモダニズム運動から始まった流れは、戦後も詩誌「荒地」、「凶区」の詩、吉岡実の詩など、一貫した影響を残した。短歌の分野では前川佐美雄や斎藤史がモダニズム短歌と称され、俳句の分野では新興俳句の中でも特に日野草城がモダニズム俳句と称された。 例えば、湯川豊はモダニズム文学の特徴を次のように書いている[1]。 前衛的である。モダニズム文学という言葉が、ボードレールの美術批評のなかの「現代性(モデルニテ)という言葉から始まったように、新しさを求める。 古典の

  • プロレタリア文学 - Wikipedia

    プロレタリア文学の先駆として、1910年代後半から、のちに〈大正労働文学〉という位置づけをされる、現場での労働体験をもつ一群の作家たちが現れた。宮島資夫の『坑夫』、宮地嘉六の『放浪者富蔵』らが代表的である。ほかにも、軍隊経験を書いた作品など、いわゆる〈大正デモクラシー〉の流れとも関連したこれらの作品が、その後のプロレタリア文学に関係したのであった。 多方、ある程度の教育を受けた知識階層からも、労働者の現状などを文学で表現しようとするものも現れる。小牧近江・金子洋文たちは、雑誌『種蒔く人』を発刊し、社会の現状の改革と結びついた文学を試みた。1923年の関東大震災に際してのさまざまな悲劇を記録した『種蒔き雑記』は、かれらの手による記録として高く評価されている。 1924年、雑誌『文芸戦線』が創刊された。これは、新しいプロレタリア文学の中心的な雑誌となった。平林初之輔や青野季吉が、理論的な面での

  • 反自然主義文学 - Wikipedia

    ^ 浅井清「はんしぜんしゅぎ」『研究資料現代日文学: 小說・戯曲 I』明治書院、1980年、140頁。2021年11月19日閲覧。「近代日文学の主流である自然主義文学(自然主義)に対して、対立もしくは独自の文学を主張する思潮・傾向を総称して反自然主義及び反自然主義文学という」 ^ なかには文芸革新会のように反自然主義を唱えたが、ほぼ実作家の参加しない団体も存在した。吉田悦志「明治四〇年前後の明治大学教壇文学者たち-「明治文学会」の可能性と限界」『大学史紀要』第8巻、明治大学、2003年、130-146頁、ISSN 1342-9965。 ^ ヘルニワティ「日近代文学史」『日語・日文化研修プログラム研修レポート集』第1996巻、広島大学、1997年、94頁、2021年11月19日閲覧。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文学に関連した書きかけの項目です。この項

  • 自然主義文学 - Wikipedia

    自然主義(しぜんしゅぎ、仏: naturalisme、英: Naturalism)または自然派(しぜんは)は、19世紀後半にフランスを中心に始まった文学運動である。エミール・ゾラが名付け、理論を体系的に展開した。自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定する。ダーウィンの進化論やベルナールの『実験医学序説』、コントの実証主義、テーヌの決定論、ダーウィンに影響を与えたリュカの遺伝学などの影響を受け、理論的根拠とした[1]。実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を、赤裸々に描き見出そうとした。貧しい人々がうごめく姿が描かれることが多かった[2]。 写実主義文学(リアリズム文学)が発展して生まれたもので、唯物論的世界観・自然主義的決定論とペシミズム、現実性を重視し架空性を排除した精密な客観描写、人生の暗黒面の描写を避けないこ

  • 【海難記】 Wrecked on the Sea - 「喫煙者=単独者」柄谷行人の「終焉」

    もういくつ寝ると 今年のはじめにやりたいことリストを作った。今見たら50項目あるリストのうち25個が達成済みだった。ちょうど半分やりたいことをやったということだ。私にしてはまあまあの結果だと思う。満足。 やりたいことリストにあるもののうち、「〜をべたい」系は概ねクリアし…

    【海難記】 Wrecked on the Sea - 「喫煙者=単独者」柄谷行人の「終焉」
  • 柄谷行人論メモ

    柄谷行人論のためのメモ 柄谷行人と「近代・文学」の終焉 ~主体性の見果てぬ夢-「生きられた」批評意識~ 柄谷氏はなぜ六十年代後半の日においてやや迂遠とも思える漱石論からその評論活動を始めた のであろうか。確かに先行者・江藤淳の「夏目漱石」が五十年代半ば、戦前の特に自然主義文学を、 日の近代をゆがめた元凶として否定し去った戦後文学の潮流に乗って、従来の漱石観を一新したと いう文学史上の出来事がある。それは「則天去私」という宗教的な悟達に至る手前でこの世を去った 「教祖」から「苦悩する生活者」へと漱石を引きずりおろそうとするものだった。 * 六十年を頂点とする大衆運動の高まりと急速な沈静化の中で、吉隆明が「言語にとって美とは 何か」を個人誌に発表し始めたとき、人々はあまりの迂遠さに驚き呆れ、かつ畏れをなしたという。 それが、理論的にもっともラジカル(根元的)なものがもっとも急進的であると

  • 池澤夏樹さんのゲーム的文学への批判について - japanese artist file

    @MiyauchiTaisuke 朝日新聞の昨日の夕刊。池澤夏樹、“革命の物語が消えた先で、なお人間は物語を得ようとする。しかし、文学では現実に回帰してしまうので、むしろゲームの世界での冒険へ向かう”。「で、自分はどうするのか? おいてまだ『革命の物語』に執着して空回りを続けるのか? 文学は荒野だ」。 上記ツイートに見事に要約された池澤夏樹さんの記事をさっき読んだのだけれど、今日びの文学はゲームみたいなもんだと断じるような調子に、私は微妙な違和感を感じた。ゲーム的な物語であるということと、現実から遊離した物語であるということは、ちょっと違うような気がするのだ。たとえば、こないだテレビでアニメの「未来少年コナン」を見る機会があったのだけれど、いま見るとモロに日のエネルギー政策への批判が込められた物語になっている。しかもメッセージとしてはそうした骨太なものを秘めているのに、物語の枠組みとして

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  • 知の快楽:哲学の森に遊ぶー西洋哲学史の一試論

    写真は、左上から横、下へと順に、ソクラテス、アリストテレス、デカルト、ロック、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ベルグソン、フロイト、ハイデガー、フーコー、西田幾多郎、井筒俊彦 壺齋散人が知の快楽を語る。その知とは、古代ギリシャに発し、西洋諸国に哲学として広がった知をいう。それを壺齋散人は哲学の森という。それには日の近代哲学も含まれる。されば、散人の知の快楽は、哲学の森を遊ぶことからもたらされる。 知の愛求(哲学)の祖と呼ばれるタレスとともに、西洋の哲学思想の歩みは始まった。タレスを含め古代のギリシャの哲学者たちが目指したものは、存在とはなにか、そのそもそもの始まり(アルケー)とは何かについて探求することであった。 ギリシャの哲学者たちによる思想の営みは、アリストテレスによって集大成され、存在にかかわる知の体系として纏め上げられた。それは古代・中世を通じて西洋哲学の枠組みを形作った。

  • 法は復讐のためのコミットメント装置 : 池田信夫 blog

    2011年12月01日10:49 カテゴリ 法は復讐のためのコミットメント装置 日では、経済学者と法学者の話は噛み合わないことが多い。経済学者が英米系の新古典派の影響を受けているのに対して、法律家は日弁連のようなゴリゴリの実定法主義(legal positivism)で法解釈学に終始し、市場経済を無視した「正義」を主張することが多いからだ。著者リチャード・ポズナーはおそらく世界でもっとも影響力のある法律家だが、日ではほとんど知られていない。彼の代表するコモンローの伝統が日にはないためだ。「法と文学」というのは奇妙な組み合わせにみえるかもしれないが、これは「実定法の条文を金科玉条とするのではなく、それを一種の文学と考えて、その背後にある意図を読み取る」という意味である。 たとえば著者は、オリバー・ウェンデル・ホームズにならって、法の起源は復讐にあるという。社会のルールに違反した者に復

    法は復讐のためのコミットメント装置 : 池田信夫 blog
  • 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)

    ようこそ「 徒然草(吉田兼好著・吾利秋訳)」へ。このウェブサイトでは『徒然草』の全段を現代語訳でご覧になることが出来ます。 更新履歴 基的に大規模な更新は滅多に行われません。 2018.4.5 ご無沙汰しておりました。昨今のインターネット事情を鑑みてSSL対応しました。 2016.6.8 twitterのアカウントtsurezure_bot のメンテナンスをしました。 2016.6.8 原文にルビを振りました。 2016.6.8 ホームページをリニューアルしました。たぶん、スマートフォン対応できてます。 2009.10.15 twitterのアカウントを作りました。つれづれぼっと 2009.7.24 ホームページ・リニューアル。校閲と言うより訳し直しました。 2009.4.19 校閲が終わりました。 2008.6.6 「おりにかなう助け」を更新しました。 2007.6.3 リニューアル

    徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)
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