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ごめいふくをおいのりします。 依田文夫さん82歳=作家、舞台演出家(MSN毎日インタラクティブ−訃報) 依田文夫さん82歳(よだ・ふみお=作家、舞台演出家)28日、心のう血腫のため都内で死去。 俳優として榎本健一に師事したのち、演出家として財津一郎、杉良太郎らを育てた。著書に「演劇学論考」「芸能界入門」など。
日本一のハッカーが亡くなりました。 BSD系フリーUNIXの開発者(コミッター)であり、ソフトウェアの多言語化・国際化にも取り組み*1、そしてなにより次世代のインターネットプロトコル「IPv6」の普及に尽力するとともに標準実装「KAME」プロジェクトのコアメンバーとして国際的に活躍し、「itojun(いとぢゅん)」の愛称で愛されたプログラマー/ネットワーク技術者の萩野純一郎さんが急逝されたそうです。 訃報のご連絡 - [mixi] 「ipv6samurais.com」コミュに氏の弟さんがポストされた訃報 itojunさんの訃報を聞く - Blog::koyhoge - 小山哲志氏による第一報 http://www.hoge.org/~koyama/itojun.txt IIJ技術研究所の長健二朗氏を経由して小山氏に送られた文面*2 訃報:萩野純一郎氏 - WIDE : Press Rele
FishmansやUAの楽曲・ライブへのキーボードやヴァイオリンでの参加で知られるミュージシャンのHONZIこと本地陽子さんが、死去されたそうです。ご冥福をおいのりいたします。 (ニュースソース - mixi の Fishmansコミュ - HONZIさんが亡くなられたそうです・・・) 福-FUKU- HONZIさんが現在取り組んでいるユニットの公式サイト。プロフィールなどがあります。 YouTube - 福、オスロでやる! ”FUKU” in Oslo
日本の60年代後期GSシーンを代表するサイケデリックロックバンド「モップス」のリードボーカリストだった鈴木ヒロミツさんが肝細胞ガンのため死去されました。 アイドルバンドも多かったGSシーンの中でモップスは屈指の洋楽指向バンドとして知られ、ファーストアルバム「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」はジャパニーズ・ガレージ・サイケの名盤として海外でも高い評価を得ています。バンドは70年代にかけてニューロックからフォークロックと時代性を取り入れたアルバムを発表し、よしだたくろう作「たどりついたらいつも雨ふり」がヒットしました。 GSブーム後にバンドを解散したあとはタレントに転身し、テレビドラマなどに欠かせないユニークな持ち味のバイプレイヤーとして活躍しましたが、歌手活動を止めたことについて音楽評論家の渋谷陽一氏が「鈴木ヒロミツが歌わなくなったのは犯罪」とその才能を惜しんだと言われています。最
インターネットの個人利用がはじまった初期から、ネットとの融合を試みてきたクラブイベント「in dust-real」を主催するDJでオーガナイザーのPOMさんが36歳の若さで逝去されました。イベントとしてもDJとしてもまだこれからというときであったろうに、残念でなりません。個人的にもtechno-headsメーリングリストやNIFTYの音楽系フォーラムを通じてPOMさんと知り合い、in dust-realにも何度か遊びに行きました。同じ時間を共有したひとがまたひとりいなくなってしまったのはほんとうに寂しいです。故人のご冥福を心からお祈りいたします。 in dust-realは、techno-headsを中心とした音楽系MLのオフ会的なノリで1995年3月に1回目が開催されましたが、同年8月に新宿ニ丁目のクラブ「BAR Delight」で開催された2回目で、ネット接続チームを有するPOMさんの
1984年に結成された日本のアンダーグラウンドなロックバンド「YBO2」の中心人物であり、同時にインディーズレーベル「トランスレコード」も主催し(いったんレーベル活動休止後、90年代には「SSEレコード」として復活)、またプログレ・ニューウェイブ系の先鋭的ロック雑誌「フールズメイト」の初代編集長として、80年代の日本のインディーズロックシーンをつくったひとりである北村昌士さんが亡くなられたという情報が流れています。 詳しいあるいは正式な訃報ではなく断片的な情報が多く、亡くなられた日や享年・死因などは不明ですが*1、本当だとしたらまだ亡くなられるにはずいぶんお若いのではないでしょうか。残念です。ご冥福をおいのりいたします。 現時点でネットで確認できる情報 2chの「伝説のミュージシャン」板の北村昌士スレッドでは300あたりから話題になっています。 http://music4.2ch.net/
太平洋戦争の東京大空襲で失った母親への鎮魂と贖罪の長編詩集「炎える母」や、文明に滅ぼされた「縄文」をテーマにした詩作などで知られる詩人の宗左近(そう・さこん)さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りします。 宗さんは1968年に上記「炎える母」で第6回歴程賞を受賞し、1994年には詩集「藤の花」で第10回詩歌文学館賞を、2004年にもスウェーデンの第1回チカダ賞を受賞するなど詩人として活躍する傍ら、法政大や昭和女子大の教授も歴任し、評論家として「宮沢賢治の謎」「日本美縄文の系譜」といった著書もものされています。晩年まで創作意欲は衰えず、芭蕉や一茶など俳句への関心から一行詩に取り組まれていたそうです。 というのが一般的に見た経歴ですが、ネット上ではむしろ、デンパが飛ぶさまを表す擬音「ゆんゆん」のネタ元でもある「清陵情報高等学校校歌」をはじめとする、さまざまな独創的で奇抜な校歌を作詞されたことで
70年代から80年代にかけて、精神状態が悪化したブライアン・ウィルソンを強権的な治療で回復させたものの、ブライアンをあまりに管理下に置き過ぎたとして他のメンバーらから遠ざけられたセラピストのユージン・ランディ(Eugene Landy)氏が、ホノルルで亡くなりました。死因は肺炎ですが、故人は肺ガンの闘病中だったそうです。 Eugene Landy, the psychotherapist who was variously called a savior and a snake oil salesman for his unorthodox, round-the-clock treatment of Brian Wilson, the famously dissolute leader of the Beach Boys, in the 1970's and 80's, died on M
悲しい。ご冥福をお祈りいたします。 前オリックス監督の仰木彬氏が死去(YOMIURI ONLINE : プロ野球) プロ野球の近鉄とオリックスで監督を務めた仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日、福岡県内の病院で死去した。70歳だった。 福岡・東筑高から1953年夏の全国高校野球大会に出場し、54年に西鉄に入団。三原脩監督の指揮で黄金時代を築いた西鉄の二塁手として活躍し、67年に引退。70年から18年間、近鉄コーチを務め、88年から92年まで監督。 ロッテとのダブルヘッダーとなった88年最終戦は、時間切れ引き分けでリーグ優勝を逃した。その日付の「10・19」は、球界の語り草となっている。 翌89年にリーグ優勝。94年にオリックス監督に就任。阪神大震災に見舞われた95年には「がんばろう神戸」を合言葉に、パ・リーグ制覇を成し遂げた。96年にはリーグ連覇を果たしたうえで“長嶋・巨人”を破って日本一
70年代からプログレッシブロックバンド「四人囃子」、ニューウェイブバンド「プラスチックス」といった日本ロック史上のエポックメイキングなバンドのベーシストとして活躍し、80年代からはBOØWY、THE BLUE HEARTS、JUDY AND MARY、GLAYなど多くのロックバンドのプロデュースを手がけ、日本のロックの音を作った佐久間正英さんが1月16日、亡くなられました。61歳でした。 佐久間さんは2013年8月、末期のスキルス胃癌であることと脳腫瘍の手術を受けたことを公表。闘病中でありながら音楽活動を継続し、自らのブログやFacebookアカウントなどWebの個人メディアを通じてその様子を伝えるとともに、音楽系ニュースサイト等のインタビューにも精力的に応えられていました。そういった記事で、テクノロジーの進化によって音楽制作のあり方が変わることを語っていた氏の闘病の形はまた、テクノロジー
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