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以下から詳述するように、id:Midasには三つの質問がある。といっても、これは大まかな区別であって、質問は山済みと言えるだろう。第一に、私とid:gerlingの議論に対して残したid:Midasのコメントは、「反論」なのか放言なのか。第二に、私が「人工知能、特異点、エージェント、マシンラーニング」について肯定的に評価したと考える理由は何か。そして第三に、id:Midasは「知ったかぶり」でコメントを残したことはあるか。 この三つの質問の鍵となるのは、id:Midasの以下のようなコメントである。「反論とは「論旨」に対しなされるもの。「どっち?」は質問(疑問)。質問に反論があるかとは笑止千万。「どっち?教えて」と書くべき。でなきゃ黙ってな。真理をナメすぎ」id:Midas(著)『はてなブックマーク - 財)パタフィジック収集館ふくろう団地出張所』はてなブックマーク(2009)、閲覧日時:
犬の鳴き声は「ワン」 → 数字の1 猫の鳴き声は「にゃー」→ 数字の2 数値的に猫の方が高い。故に猫は犬よりも優れている。
『いい加減「左翼」と「右翼」の区別から卒業しなさい。 - はっはっはっは』にトラックバックが届いた。丁度良い踏み台になりそうなので言及しておこう。圧倒的に一人勝ちシリーズのネタにもなるし。威勢のいいのは機嫌の良いあいだだけの批判者「ルーマンなんてほとんど知らないけど、ルーマンは複雑性っていうのは縮減されるしかない、つまり自由選択じゃ全然選べないから選択肢を作るしかない、って言ってたんじゃないっけ?システム論ってそういうもんだと思ってた。複雑性を擁護するのはむしろ左翼なんじゃないのか?」id:gerling(著)『お前もガキくさいメディア論なんか止めたら? - ootuka’』はてな(2009)、閲覧日時:2009/02/18 「これでよく反論する気になれたな」と、意気込みだけは評価しておこう。彼はルーマンに対する無知の負担をボルツに対する強引な誤読で免除しているようだ。「まあ、ボルツが馬鹿
さっき友人から借りてきた『ハヤテのごとく』のDVDを観なければならないので、やっぱいいや。今どきメディア論を語るには、こうした漫画やアニメにも詳しくないとねー まあ、あれかな。一度出来上がってしまったコンフリクト的なコミュニケーションは「二重の偶発性」に曝されて複雑化してしまうから、それを人間的な単位に還元することは不可能なんだよね。たとえば、「誰の責任なのか?」、「どの発言や行為が問題なのか?」、「誰が悪いのか?」といった観点で問題解決を図ろうとしても、それは道徳家がよくやる<馬鹿の一つ覚えによる過度の単純化>に過ぎない。実はコンフリクトというコミュニケーション・システムそれ自体に問題があるにも拘わらず、特定の人間の問題に還元しようとするから、その解決は形式的な擬似解決に終わってしまうのだよ。わっはっは。 と、言っても、「形式」的な疑似解決は避けられない。問題解決の「内容」を一々検証して
政治的コミュニケーションで選択されるのは、「政治的直接性」という名目で選択できるテーマだけである。政治的直接性という言葉は、政治的に解決できない問題を政治的な問題に摩り替えるための決まり文句として、有効に活用されている。誰もが馬鹿の一つ覚えのように飢餓やホームレスや環境破壊のテーマに夢中になっている。「私が楽にならないテーマは政治的に無意味だ!」これらのテーマは決して「不都合な真実」などではなく、盲目的に政治的直接性を選択することを可能にする<好都合な真実>なのだ。政治的直接性とは、政治を政治的にしか語れない連中が尤もらしく思考をサボるための口実に過ぎない。 この記事の目的は、『「学問と政治の対話」が成功しない理由 - ポスト・ヒューマンの魔術師』に則り、『政治学や歴史学が提起する「学術的な問題」が「政治的な問題」に摩り替えられていく理由の現象学的な観察。政治学的な根拠か、歴史学的な系譜か
「2009年2月8日 09:13:39 GMT に取得されたGoogleキャッシュ。少なくともこの時点までは「はてな論壇ごっこ」にはなっていなかった模様。」id:kyo_ju(著)『はてなブックマーク - kyo_juのブックマーク』はてなブックマーク(2009)、閲覧日時:2009/02/09 18:43 id:kyo_ju氏の「論壇」観には少し興味があるな。 増田が記述したある興味深い記事に、『わざと曲解して無理矢理有名人に反応させるパターン』と『「意図的な誤読」kyo_juメソッドの卑劣さ』というものがある。これらの記事は、id:kyo_juのコメント(存在は2009/02/09 18:55に確認済み)に対する反応だ。 つまりkyo_juは、自分で自分の考えを真面目に説明するためにエントリを立てるなどの真っ当な努力を全部サボり、たった百字以内のブコメでわざと稲葉先生に反応をさせ、
『俺がはてブを使わない理由 - NC-15』 私の見解とは全く逆かもしれない。(´・ω・`) むしろ私は、「はてなブックマーク」の負担免除機能を折衷的・便宜的に採用していきたい。 「はてサ」にせよ、「ネトウヨ」にせよ、政治的にも政治「学」的にも無能・無学な連中にとって、罵倒や中傷に勤しむだけで政治的なコミュニケーションや学術的なコミュニケーションにコミットした「かのような」虚構を与えてくれる「はてなブックマーク」のユーザー・インターフェイスは、ありがたいものなのだ。 彼らからユーザー・インターフェイスを取っ払ったら、何が残るというのだろう?(´・ω・`) 私にはそんな残酷なことは決してできない。(´・ω・`) と、いう内容を以下の記事で書いていた。(´・ω・`)『精神医学の終焉 ポスト・ヒューマン、発現。 - はっはっはっは』『政治学や歴史学が提起する「学術的な問題」が「政治的な問題」に
( ・ิω・ิ )
1.散歩中に糞をするから まず、散歩中に糞をする時点で、犬は猫に劣る。なんで人前で糞の処理をしなければならないんだよ。2.散歩中にうんこをするから 犬は散歩中にうんこをする。これも致命的。カレーが食べられなくなる。3.散歩中にうんちをするから この時点で大分猫との差が開いている。もう犬なんて駄目すぎて駄目すぎて駄目だ。あと、なんか臭い。4.散歩中に脱糞するから もはや犬に勝ち目はない。脱糞するから。犬について論じることすら屈辱的だ。5.散歩中に下痢するから 脱糞するってことは下痢もするんだろ?決まりじゃん。猫の勝利だよ。圧倒的に。
大学受験生にネットをしている暇がないというのは、果たして本当だろうか?実は全く違う。東大に現役で合格している連中というのは、自分の実力で合格したと言い張りたいものだから、東大入試で圧倒的に一人勝ちできる方法がネットに眠っているとしても、秘密にしておきたいものなのだ。 この記事では、去年脳内で東大に現役合格した筆者が、この秘密を暴露したいと思う。東大に現役で合格した連中が抱いている「秘められた7つの確信」を、みんなの前で暴いていこう。東大入試で圧倒的に一人勝ちできる方法のルーツは、事実、ネット上で培われている。ネットこそが、東大現役合格の鍵なのだ!1.「本の受け売りかよwぎゃはははw」で問題を一掃しろ(・ิω・ิ )b いきなりだが、超必殺技だ。国語(文科)の問題は、書籍の一部を引用して構成されたものが多い。つまり、東大の入試問題を作っている奴らは、みんな本を読んで問題を作っているんだ。 こ
はじめに この記事では、ネット上で行なわれている精神医学をテーマとしたコミュニケーションを観察することで、精神医学が機能不全に陥っていると言う現状を指摘する。直ぐにお気づきになるだろうが、この挑戦の意味するところは、<脱魔術化された科学>の脱魔術化だ。 基本的な考察の出発点は、人間の精神状態に言及するはずの精神医学の学術的なコミュニケーションは、人間の精神状態を<置き去り>にしたまま突き進んでいく、というパラドクシカルな観点である。こうした精神医学は、次第に「形式と表面の戯れ」となり、ネット上を戯れる素人たちの<玩具>として成り下がる。ネット上で注目されている精神医学は、もはや学問の英知を指し示すものではない。 すると、知的好奇心はこう問いかけてくる。精神医学の後に何が来る?道徳か?倫理か?政治か?近代的理念か?しかし、それを説明するのがこの記事の役目なのだから、詳細については本文中で説明
一度取り上げて叱り付けてやらないとな。反吐が出る。
( ・ิω・ิ)
1.はじめに:学術的コミュニケーションなのか、政治的コミュニケーションなのか 「絶対的真実はないんだよキャハハウフフ」と今さら満足げに気取るポストモダニズム系リベラルの輩と、それにわざわざ一々憤慨してみせるポストモダニズム批判者たちの低レベルなやり取りを目撃したころから、疑問に思うことがあった。 ルソーの「一般意思」の延長線上に位置するデュルケムの「集合的興奮」を踏まえるならば、国家についての思想は「国家が歴史的虚構であること」を前提に議論されてきたことが、直ぐにわかる。それにもかかわらず、国家の虚構性に一々激怒する「憤慨ペシミスト」(笑)や、国家の虚構性や近代の魔術性を今頃満足げに指摘する「恣意の戯れ」の馬鹿共が未だに散見されるのは、何故なのだろう? 私見によれば、こうした政治思想の業績が学術的なコミュニケーションに過ぎなかったということが、関係してくるように思える。つまり、近代の政治や
はじめに:学術的な問題を別の問題に摩り替えることは不可能ではない id:ululunをボコボコにしてから、『「ポスト・ヒューマンの魔術師」とは誰か? - はっはっはっは』に至るまで、学術的なコミュニケーションにおける接続可能性を重点的に説明してきた。しかし、コミュニケーションに接続可能性が必要となるのは、学術に限られたことではない。政治、経済、法、教育、芸術、マスメディア、コンフリクトなど、別のコミュニケーションでも別のコミュニケーションなりの接続可能性が必要となる。 軽く確認しておこう。厳密さを犠牲にして単純化して言ってしまえば、学術的なコミュニケーションに参入するかしないのかは自由である。ただし、参入するならば先行研究の観察など、準備すべきことは沢山ある。言及は参入と見なす。準備なき参入は容赦なく排除する。それが学術のシステム合理性だ 以前「馬鹿よけ」という言葉にしか反応できず、そのバ
『id:ululunをボコボコにしてみる。「人生は不条理である」発言の押し付けと、「本の受け売りじゃクリエイティブじゃないんだよ!自分で考えた独創的なアイディアこそが重要なんだ!」の馬鹿さ加減 - はっはっは』に始まり今日に至った訳だが、これまで何名かのはてなブックマーカー(はてなー)に言及しつつ記述すると言う選択を採ってきた。だが、言及する必要は特に無かった。事前に決めていた既述内容をid:ululunのコメントを発端として書き始めただけのことである。だから、異なる人物に言及しているように見えても、各記事は皆「前の記事の続き」だった。しかし、いつまでも続けてはいられない。この連載も今日で最後になる。 この記事では、総括として、今まで書いてきた連載記事が本館:『ポスト・ヒューマンの魔術師』とどのようにリンクしていくのかについて説明していく。id:kiichi55のありがたいお言葉から考察を
増田氏の素晴しい分析 増田氏が私の記事に関して素晴しい分析をしていた。増田氏によると、当初id:ululunは私に対して次のように反論すべきだったという。「彼の言説は本の受け売りのように私には見えるが、本の受け売りという発想自体が本の受け売りで、本の受け売りなんてものは本当は存在しないんだけど、彼の言説は素人を不快にさせるほどの「難解な専門用語」や「長文」が多用されており、「馬鹿よけ」として非常に効率的に機能しており、反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」増田(著)『本の受け売り』はてな匿名ダイアリー(2009)、閲覧日時:2009 01/13 08:23 増田氏は、「素人を不快にさせるほどの」という言い方をしている。これは私に対する批判なのかもしれないが、私自身は感銘を受けている。素晴しい分析だ。実際、先行研究や科学史を観察し、学術的なコミュニケーションとの接続可能性を担保でき
この記事では、まず学術的なコミュニケーションにおいて短文を記述することの問題点を指摘する。そして、これまで何度も説明してきた学術的コミュニケーションにおける接続可能性の観点から、長文の記述が不可避になるということを説明していく。 (尚、ここで私が言及している「長文」とは、より長く書かれた文章である。個人の主観で勝手に妄想した「長さ」を意味するのではない。)id:pbhの謝罪とid:hygienicのコメントから「ボクの意図としては「なんか難しい説明をする迄もなくうるるんたんの発言はぽま先生に対するDisだよね」ってぽま先生怒りのエントリに同感したって意図だった。一日寝かしてコメ見返してみたら確かにこれはボクがうるるんたんのDisに乗っかってる発言にしか見えない。( 'ー`)し<ごめんね」id:pbh(著)『遅ればせながらid:pbhが説明する。そしてぶコメで気分を害させた事を謝罪する。 -
「学術書に込められた英知を否定する気も更々ない。それを取り出せるかどうかは読者側の能力にも依存しており、id:ululunの言う「受け売り」は「上っ面だけ引用してる」ってDisであろう。これについてはボクも同感。」id:pbh(著)『はてなブックマーク - id:ululunから私が勝手に肩透かしを食らったことについての感想文 - はっはっは』はてなブックマーク(2009)、閲覧日時:2009/01/10 05:53 これは楽しみ、ということで次のように返答しておいた。「id:pbhさん。そういうのはルーマン読解、ハーバマス読解、ボルツ読解、ヘーゲル読解、バルト読解、ドゥルーズ読解、デリダ読解等をやってからにしてください。その上で元記事に反論して貰います。できるはずですよね?」 id:pbhが今すぐ説明できるはずの論点をピックアップしておこう。(1)私が元記事で説明した「第二の論点:「本の
『id:ululunをボコボコにしてみる。「人生は不条理である」発言の押し付けと、「本の受け売りじゃクリエイティブじゃないんだよ!自分で考えた独創的なアイディアこそが重要なんだ!」の馬鹿さ加減 - はっはっは』で、id:ululunに反論したのだが、反論が返ってきていない。「返信を強要するものではない」と元記事で断っていたが、実際大した返信が来ないと肩透かしを食らう。 というより、返信する気はあったようだ。「ぼこぼこにされた/私はともかくドンジレの人を巻き込むのはちょっと。」id:ululun(著)『はてなブックマーク - id:ululunをボコボコにしてみる。「人生は不条理である」発言の押し付けと、「本の受け売りじゃクリエイティブじゃないんだよ!自分で考えた独創的なアイディアこそが重要なんだ!」の馬』はてなブックマーク(2009)、閲覧日時:2009 01/09 23:55 id:ul
・『id:ululunをボコボコにしてみる。「人生は不条理である」発言の押し付けと、「本の受け売りじゃクリエイティブじゃないんだよ!自分で考えた独創的なアイディアこそが重要なんだ!」の馬鹿さ加減 - はっはっは』・『1000冊のSFを読んだid:ululunと1000冊以上ある学術書の関連性、コピペと引用の差異、視界ゼロの中での問題発見 - はっはっは』 この記事は、上の二つの発展記事です。元記事の概要「こういう、参考文献がたくさんあるような、学術的な(力任せの)内容なら、初めにまとめ(抄録)が欲しい。」id:takahiro_kihara(著)『はてなブックマーク - id:ululunをボコボコにしてみる。「人生は不条理である」発言の押し付けと、「本の受け売りじゃクリエイティブじゃないんだよ!自分で考えた独創的なアイディアこそが重要なんだ!」の馬』はてなブックマーク(2009)、閲覧日
『id:ululunをボコボコにしてみる。「人生は不条理である」発言の押し付けと、「本の受け売りじゃクリエイティブじゃないんだよ!自分で考えた独創的なアイディアこそが重要なんだ!」の馬鹿さ加減 - はっはっは』へのトラックバック記事:『id:ululunさんが本を軽蔑してるって初めて聞きました。 - どんなジレンマ』への返信ですかね。SFの本と学術書の違い SFと学術書は全く次元が違います。これを混同すると、疑似科学批判者やニセ科学批判者に「乱暴だ!」と非難されてしまうので注意しましょう(笑) id:ululunがSFを1000冊読んだからと言って、学術的なコミュニケーションで参照される本(=学術書)を軽視していないことにはなりません。夢を与えるSF本ばかり読み、退屈な学術書には興味を持たない読者もいるでしょう。量子力学や相対性理論が如何にして見出されたのかという先行研究や科学史に無頓着な
この記事について 以下の記事を発見したのは私ではないのだが、あまりに低い次元を垣間見たということで、記念に言及しておこう。twitterの正規の使い方はよくわからないので、「twitterによる犬の遠吠えに言及するなんてマナー違反だ!」という非難を恐れずに、こちらの日記で晒すことにした。「「苦しいのはお前だけじゃない」という言説は背後に多数の存在をほのめかして言説相手を打ちのめす行為なのかもしれないと思ったけど、ダブルバインド的な気がしたのでエントリにしないwww」http://twitter.com/ululun/status/1080321476、閲覧日時:2009/01/06 22:22「諸刃の剣ですね。「人生は不条理である」ってことを振りかざして発言者を黙らせることが目的だったら嫌ですね。書き手の根本動機によるかなとも思うのですが、どう読まれるかは読む人の判断なので、諸刃の剣だと理
id:RPMさんの才能に刺激を受けて、「頭の良し悪し」や「勉強ができる・できない」に関係なく適用・応用できる方法を、自分なりにピックアップしてみた。1.ひたすら馬鹿の一つ覚えのように「ブーメラン」を指摘し続けろ(・ิω・ิ )b 「馬鹿というお前こそが馬鹿だ!」と主張するのは、馬鹿でもできる。「ブーメラン」が便利なのは、自分で大したことを考えなくても済ませることができるからだ。ただ相手が言ったことを<鸚鵡返し>し続けていれば、いずれ相手も折れるだろう。 このネット用語の猿知恵は、数論や意味論で言われる「自己言及的パラドクス」に似ている。だが自己言及的パラドクスの形式は、それ自体も自己言及的なパラドクスに陥る。たとえば、共時的に相手の自己言及的パラドクスを指摘して優越感に浸っている馬鹿でも、通時的には不可避的に自己言及的パラドクスに直面してしまう。だから、「自己言及的パラドクスを指摘するお前
はてなブックマーク・コメントから久しぶりに知ったかぶりを発見したので、言及しておく。はてなブックマーク・コメントに対する前提となるスタンス・『はてなブックマークには、無知な弱者を無知な弱者のまま包摂した状態で啓発的な「会話」を可能とする「弱者の松葉杖」として期待している。(『開き直ったネガティブはてなーあるいは梅田望夫さんへ』を読んで) - はっはっは』・『【予備考察】野暮なid:ekken・チキンのid:finalvent・なんとかやってこれた小飼弾 はてなブックマークとハイパーテクストのメディア論 「我々は複雑性に立ち向かえるのか」 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』・今に始まったことではないが、ほとんどが既に書いた記事のコピペだということをお許し願いたい。元記事 もともと『「ポストモダンの情報社会」について。デリダ?ヘーゲル?ルーマン?ハーバマス? - はっはっは』は、東氏の「シ
「プログラムの件はid:magician-of-posthumanを召喚しておきたい。」『はてなブックマーク - 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病』 「はてサ」も「東」も正直居ても居なくても良いし、両者の対立にも関心が無いのだが、id:thirさんに召喚されたので、とりあえず元記事で言及している「システム論的解釈」と「プログラム」について観察していく。結論を言うと、この書き手が言及している「システム論的解釈」と私が言及しているニクラス・ルーマンのシステム理論は、全く別物。だから見解の相違は付き物だろうし、「プログラム」についても別の見解を持っている。 ただ私は、議論を吹っ掛けるつもりはない。単に「システム論的解釈」と私が言及しているシステム理論を区別するだけである。これがポジション・トークに聞こえるという読者には、まず初めに本館で書いた
はじめに 『「知ったかぶりは不可避」、「全てがなんちゃって理解」、「絶対的真実は無い」だけで考察を終わらせるものなのか。 - はっはっは』に対して、id:tkt8からコメントがあった。このはてなブックマーカーの計200文字のコメントでは、どれほどこの記事の背景にあるシステム理論、意味論、差異理論、形式演算の現象学、様相論理学、数論を理解しているのかは、到底わからない。 が、『はてなブックマークには、無知な弱者を無知な弱者のまま包摂した状態で啓発的な「会話」を可能とする「弱者の松葉杖」として期待している。(『開き直ったネガティブはてなーあるいは梅田望夫さんへ』を読んで) - はっはっは』を前提にすれば、<丁度良い>ので応答しておこう。そもそもid:tkt8は、コメントの文末が「〜だろ」とつけあがっているブックマーカーであり、面識も無いにも拘らず「ぽまさん」と敬称で呼ぶ無礼者なのだから、こちら
前提となる観察スタンス・『http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081113/1226580410;title』・『【予備考察】野暮なid:ekken・チキンのid:finalvent・なんとかやってこれた小飼弾 はてなブックマークとハイパーテクストのメディア論 「我々は複雑性に立ち向かえるのか」 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』関連記事・『誤解・誤読を作為的かつ好都合にコントロールする方が「楽」。どうせ誤解・誤読を防ぐことは不可能なのだから。 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』・『「馬鹿」である我々が「馬鹿」のまま安堵に浸れる知のデザインが必要だ。「なんちゃって」理解することと「嘘を吐いて」理解させることが重要になる。 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』観察するはてなブックマーク・コメント「知ったかぶりは不可避ではという
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