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「緑の革命」は、中学校や高校の教科書には必ずいっていいほどでてくる。そして「緑の革命」は途上国において米の収穫量を増やすため、われわれにはとてもいいことであるように教え込まれてきた。だが、最近はインドを中心にその弊害があらわれ、批判が生じている。 「緑の革命」の始まりは、「赤の革命」に対抗するためのものであった。中国において、1949年に共産党が権力を握ると、地方の農民組合が土地を取り戻し、借金を帳消しにし、富を再分配するように促した。それに啓発されたアジア新興諸国の農民運動も、共産党が浸透し、土地を取り戻し、それを基盤として平等な農村を作ろうと、もりあがった。この運動に対抗し、この政治状況を「安定化」させるための手段として、アメリカの財団、アメリカ国際開発局、世界銀行などが、共産主義の魅力を抑えるために集結し「緑の革命」が導入された。 「緑の革命」は、HYV種(High Yieldi
まずはグループのリーダーに申し入れ、運営委員会 management committeeに承認をもらい、そのあとプログラム組織者program organizer の承諾を得た後、地区マネージャーarea ma nagerに認められれば、めでたくマイクロクレジット契約が成立する。 村民たちは、マイクロクレジットを使い、脱穀・食堂経営・野菜屋・リキシャ・竹マット売り・アヒル、鶏、山羊を売る などの事業を立ち上げている。製品を市場で売る事業の場合、価格が市場で決まり自分た ちで決められないことがメンバーの人達の不満であるようだ。また、市場に持っていくまでの 輸送は、体力のない女性にとって困難なため、中間業者に頼むしかない。結果的に中間輸送業 者に高いマージンを取られてしまい、メンバーの女性は苦しんでいるようだ。だが、BRACはこ の問題には立ち入らないことにしているとのこ
この日は午前中 グラミン銀行の 本店を訪れた。あの有名なユヌス教授に会える……! 今年度の巡検 で、グラミン銀行をテーマにバングラデシュを視察したいとゼミで提 案してそれが実現した筆者は、朝から期待に満ち溢れて車に乗りこん だ。約束 は8時45分。グラミン 銀行のビルも、うわさ の通りとても大きな高層ビルであった。と言っても 、BRACのビルのほうが外観は整っている感じがした。ビルのある場所 は、都心部ではなく、郊外の 新しく都市開発されたMirpurという地区にある。 グラミン銀行訪問のため、我々は、一人あた りUS$15の料金を払 うことを銀行から要求さ れていた。2階の会議室に通されてユヌス氏を待つ。かなり広い 会議室で、20個くらいマイク がテーブルにつけられている、とても近代的な会議室であった。ユ ヌス氏との面会の時間は1 5分の予定である。
特産の粘土でつくられた赤煉瓦の建物が緑の沃野に映え、そのなかにひときわ高い教会の尖塔がぬきんでて階調をなす面影は、プロイセン特有の景観である。 ワルシャワからおよそ2時間、ドイツとポーランドとの旧国境線の街、イラーバ(ドイツ名ドイッチュアイラウ)を過ぎると、ほどなくマルボルク(マリエンブルク)に着く。 西プロイセンは、もともとポーランドとのフロンティアのせめぎあいの場所でもあった。12世紀ごろから始まったドイツ農民の東方への進出は、スラブ系のポーランド人がこれまで営んできた穀草式農業に変わる三圃式農業をもたらして、その地域の農業生産性を向上させ、同時に神聖ローマ帝国内の農民に空間的な回避の可能性を与えて、貧しい農民の地位を向上させることに貢献した。こうしたドイツ人農民たちは、ポーランド人農民の傍に居住して、集落を形成した。こうしたドイツ人はしだいに、ポンメルンなどの公国として、ドイツ人によ
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