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日本と世界の国々がリンクした上で歴史をやり直している世界で、終末から世界を救うため、そして一人の少女を助けるためにみんなが頑張る話。 相変わらず、凄い。下巻は700P以上あったのだけれど一日で読めてしまった。描写の迫力、台詞回しの上手さなどは前作『終わりのクロニクル』をしっかり踏まえたうえで洗練され、飽きさせない展開とスピード感は本の厚さを感じさせない。今回もやはり圧倒されてしまった。 『都市シリーズ』『終わりのクロニクル』ときて、三シリーズ目の今作だが、シリーズを重ねるごとに、物語のスケールが大きくなって来ているのかなぁと読んでいて思った。『都市シリーズ』ではあくまでその都市という小さな世界における状況に対し、個人、特に主人公がどう動くか、ということに対して焦点が当てられていた。それが、『終わりのクロニクル』では話のスケールが小さな世界が集まった大きな世界における状況となったが、それでも
第三回ケータイ小説大賞大賞受賞作『あたし彼女』(著:kiki,リンク:http://nkst.jp/vote2/novel.php?auther=20080001)を読んだ。 あわせて、『ケータイ小説的。』(著:速水健朗)を読んだのだが、そこで書かれているこれまでのケータイ小説と『わたし彼女』とを比較してみると興味深い点が見つかったので、少しばかり考えてみようと思う。(ちなみに、僕はこれまでケータイ小説をまともに読んだことがないので(汗)、この考察はあくまで『ケータイ小説的。』でのケータイ小説観と『あたし彼女』についての比較に基づいたものです) 『ケータイ小説的』によると、ケータイ小説で頻繁に、しかもリアルに描かれているものはデートDV(恋人同士でのDV)と呼ばれる恋人同士の関係である。彼氏が彼女のことを束縛し、時には暴力を振るう。そして彼女はそんな彼氏に対し、自分が至らないせいで彼は怒っ
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