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2021年4月から隔週で、津田大介さんが務めるインターネット報道番組「ポリタスTV」に隔週で出演したのですが、8月をもって降板する(ウェブ番組でこういう言い方が正しいのかどうかわかりませんが)ことになりました。番組では「休止」とありますが、レギュラーとしては復帰の可能性が薄いので主観的な表現として「降板」とさせてください。 津田さんとは、私がSNS上で氏のある言葉を批判したことをきっかけに「ポリタスTV」のゲストとしてお呼びいただき、その後レギュラーのコメンテーターとして出演しないかというお声がけをいただきました。私の異議申し立てに対しても常に聞く耳を持ち、たとえばジェンダーやマイノリティに関する姿勢についても、ご自身が今まで蓄積した見方や考え方を躊躇なく手放し、今風に言えば「アップデート」する姿勢を本当に尊敬しています。 降板の理由は番組内容とは関係なく、インターネット番組が抱えてしまう
社会運動の専門誌Interfaceに論文が掲載されました(こちらから読めます)。国際誌への掲載としては、2017年に刊行された前回の論文から随分時間が経ってしまいました。内容は「社会運動の旅(Protest Journey)」に関するものですが、ここでは今回の論文の執筆に至るまでの少し別の話をさせてください。 この3年間はある事情で研究が難しい状況にありました。この論文もいくつかの雑誌に投稿を繰り返してようやく掲載されたというところです。理由は後述しますが、いままでお世話になってきた「日本の社会運動論の先生に認められるため」に頑張ってきたのですが、もう限界があるような気がします。この論文が掲載されたこともあり、しばらく、社会運動研究のほうは好きなペースで行うことにしようと思います。 なんで認められることに躍起になっていたのかというと、数年前にある社会運動の研究会(特にメンバーシップというも
会津大学で教員をされている社会学者の吉良洋輔さんが、2018年9月16日に亡くなりました。31歳でした。 本来、同じ職場である会津大学の先生方や、あるいは東北大の行動科学研究室の方、またPDの受入先であった東京工業大学のVALDESの方々、数理社会学会の会員の先生方といったような、もっとお近くにおられる方がたくさんいると思うので、私などに彼を悼む権利があるのか、そしてこうして文章を書くのが良いことなのかどうなのか、分からないままですが、彼はとても大事なことを私に教えてくれた友人のおひとりですので、こうして書こうと思います。 ある一時期、私はすごく初歩的ですが社会ネットワーク分析にハマっていて、博論で使おうと試行錯誤している中、東京を中心に活動していた数理社会学研究会の先生にお誘いいただき、月に一回参加させていただいていました。2013年の春にそこでご発表されていたのが、当時おなじ博士課程三
『新社会学研究』に『社会運動のサブカルチャー化』、『図書新聞』に『社会運動と若者』のご書評をいただきました。また、今後『リヴァイアサン』『立命館大学産業社会論集』でご書評いただくということで、もうほんとに楽しみです。いずれも専門的な雑誌ではありますが、面白い記事がたくさんありますので、見かける機会があればぜひお手に取ってみてください。 今回書評してくださった評者の方はそれぞれ、栗田宣義先生(甲南大学)と松井隆志先生(武蔵大学)です。松井先生には院生時代、修士論文の執筆からずっとお世話になっており、栗田先生は「政治的社会化」研究や「社会運動の計量研究」の先駆者である偉大な先生ということもあり、書評でこうした点にもご言及いただきとても有難いご書評です。 いくつかのご書評で近い論点が投げかけられているため、リプライは総合的に、もう少し時間をかけてしたいと思っていますが、とりわけ印象的だった部分が
3月7日から12日まで、富永ゼミ3回生によるグループ研究を紹介しています。「日本礼讃番組はなぜ増加したのか」第1回、第2回に続き、最終回となる第3回を掲載します。(英語版はこちらから) 立命館大学産業社会学部メディア社会専攻3回生の古賀叶子です。立命館大学産業社会学部富永ゼミで「日本礼讃番組」の増加について研究しています。ここまで第1回・第2回と、日本礼讃番組はなぜ増加したのかという問いのもと、メディア的側面とナショナルアイデンティティの側面があるとして話を進めてきました。その上で、日本礼讃番組の需要がある要因として、日本人のナショナルアイデンティティの中に日本人としての誇りの再認識欲があるのではないかという仮説が浮上しました。第3回では、その再認識欲がいかなるものなのかを実態を明らかにしたいと思います。 なぜ友人や同僚からではなくテレビを通じて、自らの誇りを再認識する必要があるのでしょう
3月7日から12日にかけて、富永ゼミ三回生によるグループ研究を掲載しています。本日は「日本礼讃番組はなぜ増加したのか」第二回目です。(一部、図の画像サイズがWebsiteの設定と合っておらず、見にくくなっています。現在、調整中です。申し訳ありません。) はじめまして!立命館大学産業社会学部メディア社会専攻三回生の奥一貴です。今回は、第1回に引き続き、私たち富永ゼミの「日本礼讃番組班」が研究・発表した内容について、報告させていただきたいと思います。 第1回では日本礼讃番組の増加と、『和風総本家』にみられる日本を題材にした番組の質的な変化を明らかにしてきましたが、私たちは日本礼讃番組がなぜ増加しているのかという研究を進めるにあたって、増加の背景には、番組の送り手であるメディアの特性と、番組の受け手である日本人のナショナル・アイデンティティの二つの側面があるのではないかと仮説を立てました。 私が
富永ゼミでは、毎年秋に行われる「立命館大学産業社会学部ゼミ大会」に向けて、二つのグループに分かれて研究を行いました。今回は、そのうち一つのグループによる研究「日本礼讃番組はなぜ増加したのか」を三回に分けて掲載したいと思います。(「日本礼讃番組」第二回 第三回 はこちら) はじめまして、立命館大学産業社会学部富永ゼミの飯盛奈生子です。私たちは、最近テレビ番組内で外国人が日本や日本人を褒める番組、いわゆる「日本礼讃番組」が増えていることに着目して、その原因を探るべく研究を進めてきました。今回はいくつかの視点から、日本礼讃番組の増加原因について考えていきたいと思います。 いきなりですが、外国人が日本の文化や社会を賞賛している番組を見たことはありますか? 現在、日本に居住する、あるいは観光に訪れる外国人を意識する機会が増加しています。『日本政府観光局(JNTO)』が発表した訪日外国人・出国日本人の
ありがたいことで、富永研究室も例年大学院の進学先として、あるいは博士課程修了以降の研究の場としてご志望いただくことが多くなりまして、出願前に色々とご説明する機会があればと思うのですが、なかなか全ての方にお会いするのは難しいためこの場を借りて説明申し上げます。 研究・教育にあたっての自分の考えの整理も兼ねておりますので、修正・増補を加えるかもしれませんが、一応のところこのような点を心がけております、という参考としていただければ幸いです。 ・「社会問題」と「社会運動」は(少なくとも本研究室においては)異なります 本研究室は、「社会運動」の研究を行います。社会運動って何?というとまた答えが難しくな […]
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