西村紗知氏が「すばるクリティーク賞」を受賞した椎名林檎論がすでに各所で話題になっているようで、よかった。しかし「よかった」と安心する資格が自分にあるわけでもなく、むしろ自分の姿勢を問われたし、自分の問いを触発された。同賞の最終選考に残った五本の評論のうち、三本が江藤淳の『成熟と喪失――母の崩壊――』(一九六七年)を参照し、母性的なもの、母的なものとの闘争を課題にしていた。男性権力に対するPC的な批判が全盛の今、それはなぜだろう。 twitterでの発言を振り返ってみて気付いたが、二〇二〇年の自分の中には、持続的に江藤淳に対する関心があり、あらためて、手持ちの文芸批評やサブカル批評やメンズリブや社会学や政治評論などの知見を総動員して、『成熟と喪失』に対峙しなければならない。自分の批評の姿勢を問わねばならない。そう思った。というのも、自分は「母」という主題を評論的にも男性学的にも社会評論的にも