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毎年やってくる9月\(^o^)/ 18回目の結婚記念日を迎えました! 変わったのは私の体重くらいでしょうか。 険悪な分け合い 新婚の時から2人とも変わらないことがある。 美味しいものを食べた時、相手に分けたくなることだ。 20代の頃の話。 美味しいものを食べると「おいスィーー!!これ食べてみて!ハイっ!」ってあげてた。 これで終われば穏やかで楽しい食事になるのに、よく険悪な空気になったりケンカになったりしてた。 美味しい食べ物を夫に分けようとすると、夫は「俺はいいよ、チチが食べて」と言う。 私は美味しいものを夫にも食べてほしいのに、夫はいらないと拒否する。 「なんで?美味しいから食べてほしいのに!」と私が言うと、 「美味しいものだからチチにたくさん食べてほしいんだよ!」と夫は言う。 結局2人とも譲らず、険悪な雰囲気になってた。 せっかくの美味しい料理が、、、(笑) 18年経ち、2人とも大人
最近は、仕事以外は家に引きこもって心臓休めてあげてるから体調が良い。 症状が安定するまではこの生活を心掛けようと思っているところ。 節制がいつまで持つか分からないけど(^o^)/ それで、ずっと家だからやることといえば読書か映画か勉強。 柴キッズと遊んでみんなでお昼寝。 そして夫にいやがらせメールを少々。 そしてそして本棚あさりに夢中になる日々。 初心 私は看護師の初心を思い出すために、たまーに学生時代の講義の資料とか、看護実習で受け持たせていただいた患者さんの記録とかを読んだりする。 あの頃は、教授の話を無我夢中で聴いて資料に走り書きしてたり、 患者さんに専心してた気持ちや、闘病の中、実習生を受け入れてくれた患者さんやご家族を思い出す。 それで、今日は看護のブログにしようと思う(^_^)/ 新人看護師の頃のレポートと、看護学生時代の教授の言葉を書こう! 看護師は働きながらそれぞれに思うも
今回は分野を限定して、心に響いた言葉を選んでみた(^_^)/ 選んでる時、やっぱり残してる本は偏ってるなーと思いながら、改めて自分が探求したいものは生と死と愛なんだなーとしみじみした。 愛情に飢えてた私は、愛ってなんだろう?愛するってなに?愛されるってどんな感覚?っていう幼少期からの自問自答に答えを探すように今でも愛についての本を読み続けてる。 たぶん死ぬまで愛について知りたい欲求はなくならないと思われる(*´∀`*) 死について考えることは生について考えることだと思ってて、22歳の頃の介護の仕事がきっかけで死生学に興味を持った。 当時は看取りが多くて、ただただ悲しくて泣きながら死亡処置して、耐えられなくなって退職したことがあった。 一度福祉から離れて休んだ後、看護大学に進学してからは死生学を学んで、自分の死生観が変わって今は看取り看護はやりがいを感じるようになった。 自分が死と向き合う助
この1週間はおとなしくしてるよ(^o^)丿 まずは心臓をちゃんと休めてあげないとと思って、ウォーキングも家事も休んでたら徐々に症状が減ってきた。 読書と映画でのんびりするようにして、お昼寝は15分で済ませるようにしてたんだけど、今は寝たいだけ寝るようにして夜は眠剤で調整してる(^_^)b 仕事が終わった後はひたすら休んで、柴キッズと遊ぶ体力を残してる。 胸痛が続いて仕事の心配しちゃってたんだけど、相談に乗ってくれる上司だから色んな働き方を一緒に考えてくれそう。 働き続けられるように、病状が安定するまではやるべきことは最小限にしてのんびりゆったり生活することを心掛けてみる。 やりたくないことはやらない、やらないリストを作ってみようかな。 ストレスになることは避けて、疲れを残さないように「休む」ことをメインにする (๑•̀ㅂ•́)و✧ それで、ちょっとメンタルも疲れ気味だったから気分転換に本を
心臓が回復してきたかなーと思ったのは、8月後半の数日だった。 前回の受診から約1か月、ほとんど毎日狭心症の症状が出る。 症状の頻度も強さも毎日違う。 この1か月だけでニトロは10回も使用して、 死を身近に感じる日々を過ごしてる。 私の心臓が伝えたいこと 仕事を始めて1か月が過ぎ、失敗もあったりするけど出来ることも増えてきて嬉しい(^_^)b けど私の心臓のペースには合ってないかもしれない。 最近胸痛がくる度に考えてた。 家族でいられれば他に望むことはないなって。 仕事にも復帰できて、また看護の世界に携われて、患者さんとの関わりで人の役に立ててると思えた。 願いは叶った。 一生現役が夢だけど、その夢は私の心臓を酷使することになるから、ゆっくり休ませてあげる時を決めなきゃと思ってる。 今後、薬の調整が入るか主治医と相談してから進めると思うんだけど、 もし、仕事を辞めて療養をって促されても受け入
柴ガールから始まるブログ。 今日、外はどしゃぶり。 夏はほとんど雨が降らなかったから、今日は恵みの雨ヽ(=´▽`=)ノ 野鳥たちも喜んでるだろう(*´∀`*) 私は柴キッズとまったり休日。 先輩からLINEがきて、仕事のことで褒められて嬉しくてずっとニヤニヤしてて読書に集中できないからブログ書いてみる。 最近の柴キッズ 柴キッズは私のことが大好きで、私が朝起きたら大喜びで駆け回るし、 柴ガールは心臓マッサージしてるみたいな感じで全体重を何度も勢いよく乗せて起こしてくるし、 柴マンは顔をペロペロするのがおはようの挨拶。 シャワーから上がると久しぶりの再会のように喜んでくれて、 私が泣いた時は涙をペロペロして慰めてくれる。 とにかく可愛い。 全部可愛い。 私の愛する子どもたち(人*´∀`)。*゚+ 猫じゃらし大好きな柴ガール 「追いかけっこしよ!」 「早く早くっ!」 ボールつ
今週は軽い症状だけで胸痛なく過ごせてて、ニトロも舌下せず経過してる。 回復を感じている\(^o^)/ 仕事にも少しずつ慣れてきたみたい。 仕事上がりに狭心症の症状はこなくなった。 ちょっと安心(^_^)b それでね、昨日とっっっっっても嬉しいことがあった! 32歳 仕事中、初めての患者さんだったから先輩に同行して訪問したんだけど、患者さんに「あなた、いくつ?」って聞かれたから40代ですって答えたの。 それ見てた先輩がエ、、、?って固まって。 訪問が終わってステーションに戻る車内で先輩が、 先輩「チチさん40代なの!?30代かと思ってた!」 私「私41歳なんですよ!うーれーしー!30代に見えましたか!ヤッター!ありがとうございます!」 先輩「うんうん。32歳くらいかなーと思ってた!チチさんが入社した時、若手が来たなーと思ってたんだよー。いや~ビックリ。」 私「えぇぇぇぇぇぇぇ!32歳!?えぇ
最近、考えてみた。 自分と向き合わなきゃずっと同じことの繰り返しになると思って。 無理をしてしまうのは昔からで、無理を続けたから心臓病になったのに。 運が良かったから命を助けてもらえたけど、もし状況が悪かったらあのまま死んでた。 私はたまたま助かったけど、急性心筋梗塞でたくさんの人が亡くなってるし、冠攣縮性狭心症の胸痛発作で突然死を招く人もいる。 突然死にまで至らずとも、重篤な合併症で寿命が短くなることもたくさんある。 分かってるはずなのに、私はまだ無理し続けるのか。 自問自答 問うてみた。 自分の幸福は何か。 この命は誰のものか。 自分は何を支えに生きて何に喜びを感じるのか。 誰と、どう生きたいのか。 何がつらいのか。 自分の弱さを受け入れられてるのか。 大切な人は誰か。 明日死ぬとしても、悔いのない今日を生きているか。 自分にとって仕事とは。 私にとっての幸福は、人ありきで、人がいない
前回記事 #165 止まない胸痛 前回の記事を読んだ親友のキキから、リリとの3人のグループLINEに連絡があった。 そして循環器病棟の経験がある私のパーソナル看護師のリリがこの記事を知ることになり、読んだリリから連絡があった。 噂の指標っていうのがコレ。 ありがたい言葉 リリは3人の子育てしながら病院勤務してて毎日てんてこ舞い。 私のことでも心配かけて申し訳ないと思いながら、、、。 私のブログに赤い線が見える。 リリの言いたいことが伝わってくる、、、。 私、真面目な話の時、笑っちゃったりおちゃらけてしまうんだけど、リリもキキも真剣に心配して言ってくれてるのにまたおちゃらけてしまって。 いつも優しくて(*´∀`*)←こんな顔してるリリからのメッセージ。 おちゃらけチチは好きだけどケースバイケース、今は真剣に自分と向き合ってくれ。 私はチチが作ってくれた指標は、チチが楽しく仕事を続けるためのも
先日、訪問看護でひとり立ちしたよ(☆▽☆) 最初は先輩に付いてく同行訪問してたんだけど、ひとり立ちできたー(*´∀`*) すごく嬉しかった。 精神疾患の患者さんを中心に今は訪問してる。 毎日胸痛 ひとり立ちは嬉しかったけど、緊張も重なって精神的な負担も大きかったのかな。 その日の夜から毎日胸痛がある。 ニトロも舌下してるんだけど、今までとは違って痛みが引いてもスッキリしない。 重い感じというか、不快感が残る。 それで時間を置いてまた胸痛がくる。 今日は日曜日だから明日病院に電話しようかとも考えてるんだけど、仕事は休みたくない。 去年みたいに、仕事辞めて療養してって言われるのヤダ(ToT) 優先順位は分かってるんだ。 命には変えられないからさ、しっかり休んでまた仕事を始めればいいだけなんだけどさ。 私の心臓は、1日に3時間も働けないのかな。 無理は禁物だよね(๑•̀ㅂ•́)و✧ 柴キ
夏がもう少しで終わるー! まだまだ満喫するぞー\(^o^)/ 無理は禁物 仕事の日の前日は、仕事に行くのが楽しみでどことなくウキウキした感じになってる。 朝起きて動き始めに胸痛が起きやすいから、ベッドでゴロゴロしてからゆっくり準備して、準備し終わったら休憩して家を出る。 今のところ朝は調子いい(*´∀`*) 仕事は最高ッ!(^o^)! 働ける体があるってありがたいね。 毎日しみじみしてる。 社長は明るくて優しい人で、管理者もスタッフも良い人たちだからステーションの雰囲気が良いよ(^_^)b おかげで順調に仕事続けられそうだなーと思ってるところなんだけど、 仕事が終わって帰宅して休んでる時に狭心症の症状である胸部絞扼感が続けてきてる。 それで受診もあって雷雨も重なり、胸痛がきてしまい仕事休んだ。 診察を待ってる間主治医が緊急対応で2時間半待つことになって、夫とおしゃべりしながら待ってたんだけ
2023年8月1日。 念願のっ! 待ちに待った! 看護職に復帰できました\(^o^)/ 通勤 8月1日。 雷雨から明けた朝。 出勤する日がやってきた。 嬉しい。嬉しすぎる(TOT) 何日この日を待ちわびてたことか。 楽しみと緊張で喉が渇く。 柴キッズを撫でながら深呼吸をする。 忘れ物がないか何度も確認し、 「よし!行ってくるよ!」と黒猫太郎の遺影と柴キッズに言葉をかける。 心拍が上がり過ぎないよう爽快に自転車をこぐ。 自然に口角が上がり通勤という一大イベントに喜びが溢れる。 他人が見たらニヤニヤした変態に見えただろう。 でもそんなの関係ねぇ(#^.^#) 私には私のことを待っていてくれる職場がある。 こいでこいでこぎまくった。 職場に挨拶 訪問看護ステーションに到着して元気よく朝の挨拶。 緊張で声量が調節できない。 ジャイアンチチだったんじゃないか。 スクラブ(医療用ユニフォーム)に着替え
1週間前にぎっくり腰になっちゃった(TдT) 昨年の3月に初めてぎっくり腰やってからクセになったみたいでもう3回目。 私の腰カッチンコッチンや。 治療 ぎっくり腰したから毎日治療院に通って治療してもらってる(・∀・)v お尻の右側が特に痛くて、日に日に痛みがマシになってきてたのに今朝左側も痛くなった_| ̄|○ 明日復職、新しい職場で新しい出会いが待っているというのに腰痛い痛いしてる場合じゃなーい(ToT) しかも今日は国保の手続きで住民票がある東京の区役所にも行かなきゃいけないから痛み止めと気合いで乗り切る予定。 先生ごめん 毎日痛いことばかりでもない。 治療院に行けばフレッシュな男子と女子先生たちとキャッキャッできるからスキップで行っちゃうよね(〃∇〃) 昨日は新人で22歳の中村先生っていう学校卒業したてホヤホヤフレッシュな鍼灸師先生が初めて施術してくれたんだけど、 中村先生、性格の良さ
毎日アッツイねー٩(๑´0`๑)۶ 雨が降らないから小さい川の水が干からびて鴨の行き場がなくなってしまってるんじゃないかというのが最近いちばんの心配。 大先輩 最近、復職前ということもあって「なんでそんなに働きたいのか」って疑問に思われることがあった。 色々考えてみたんだけど、働くのが好きだからなんだよね(^o^) 20代の頃は介護職や接客業とかOLしたりしてたけど、その時もやっぱり働いてて楽しかった。 働くのは稼ぐ手段でもあるんだけど、私にとってはそれ以上の価値があって。 誰かの役に立ててるってダイレクトに実感できる看護職は天職だと思ってて、もちろんストレスはあるけどその分やりがいも大きい。 働ける体があるなら一生現役でいるのが夢なのヽ(=´▽`=)ノ 精神科病院で働いてた頃に、90代の大先輩がいて仕事教えてもらってて、患者さんの髪を洗ったり体を拭いたりしてまわってた時にすっごいパワフル
先日から治療院に通院再開したよ\(^o^)/ 4月に狭心症の症状がひどくなってたから5月から治療院をお休みしてたのだけど、8月から復職するからその前に体をほぐしてもらいながら元気ももらおうと思って( ╹▽╹ ) 復職は楽しみなだけじゃなくて体の心配と緊張もあるから治療院のみんなと乗り越えるっきゃない(๑•̀ㅂ•́)و✧ 先生のやりがい 久しぶりに副院長の宮崎先生に指圧してもらった。 みんな覚えてるかな。あおばのアイドル宮崎先生。 4月に最後に行った時は私車イスに乗ってて、治療院が終わった後髪切りに行く予定なのに夫がいなくなって困ってたら 宮崎先生が「僕で良ければ。行きましょっ(^_^)」ってニコニコしながらすぐ近くの美容室まで車イス押して送ってくれた。 ドライブ楽しかったなー ドライブデートを満喫して以来話せる機会がなかったのだけど、数ヶ月ぶりに宮崎先生の最高に効く指圧を受けな
先日、家族のことや友だちのことを夫とゆっくり話した。 これから柴キッズにどう楽しんでもらおっか!っていう話でも盛り上がって、 私が病気してから失ったものと得たものも話した。 失ったもの 「健康な体」 失ったものってー、、、って話すと、夫と私が「健康な体、くらいじゃない?」とはもった。 それ以外はー、、、ないね!って意見が一致した。 得たもの 心筋梗塞後に得たものはたくさんある。 思い浮かべてみたけど数えられない。 家族との濃厚な時間 病気する前は、黒猫太郎と柴キッズのお留守番時間を減らしたくて夜勤ありきの勤務をしてた。 月に8回前後夜勤に入ると日勤が月に1〜3回くらいしかないから、昼間はほとんど私が家にいて黒猫太郎と柴キッズと一緒にいられるって思ってたけど、 それはただいるだけのことだった。 たっぷり遊んであげれるわけじゃなくて、起きて掃除して黒猫太郎と柴キッズとお昼寝して出勤するってルー
今日は黒猫太郎の四十九日です(^_^)/ 黒猫太郎のいない日常 先日、ソファカバーをはずしたら黒猫太郎のヒゲがくっついてた。 今朝床を拭いてたら、黒猫太郎がもらしたオシッコのにおいがした。 前はにおい消しに奮闘してたのに、今はにおいが愛しくて仕方ない(笑) 洗うご飯の皿が減って、減らないトイレの砂やご飯。 毎月買ってた免疫のサプリももう必要なくなって。 かさんでた医療費も浮いて、高額な療養食も買う必要がなくなった。 もうお金をかけてあげることもできない。 座ってる時に膝を陣取られることもなくなって。 散歩から帰宅すると「 早くご飯出せ今すぐ出せ。早く早く」って急かされることもなくなった。 寝る時は夫がベッドに入るのをじっと待たれることもなくなったし、 私を差し置いて夫の腕枕で寝ることもなくなった。 私がパンを食べようとしたら奪う機会をうかがって殺気混じりの視線を感じることもなくなったし、
倒れてから2年、救急救命士さんに助けてもらったあの日のお礼を手紙に書きました! 春に書こうと思ってたんだけど、古本まつりに夢中になってしまい今日になった(^^ゞ 文章上手じゃないけど、手紙はその人の色だし、気持ちってことで!(^o^)b 救急救命士の皆様へ 拝啓 ひまわりの花が咲き始め、ビールが美味しい季節になりました。 突然のお手紙、失礼致します。 私は、2021年6月29日の早朝、自宅で心室細動を起こし、夫にCPRをしてもらいながら救急隊員さんの到着を待ったチチと申します。 あれから2年が経った今日、どうしても隊員の皆様に伝えたいことがありペンを取りました。 倒れたあの日、私は急性心筋梗塞で、左冠動脈主幹部に梗塞が起こりました。皆様が病院に運んでくれた後、ステント留置、低体温療法のおかげで4日後に意識が回復しました。 その後主治医から、「冠動脈が完全に詰まりかけて即死するところにAED
2023年6月29日、急性心筋梗塞で倒れたあの日から、2年が経ちましたー!\(^o^)/ ヒャッホーイ┏(^0^)┛ 夫が心臓マッサージして助けてくれたあの日から、、、 思い返すとこの2年、、、 私は夫に優しくなれただろうか(・_・) わがままがパワーアップした感が否めないが、、、 ワカチコワカチコ精神でいこう\(^o^)/ 2年経った心境 急性心筋梗塞で倒れてから、冠攣縮性狭心症も発症して、色々なことがあった。 命の儚さや、自分や大切な人たちとの限られた時間を考えることが自分にとっては自然なことになった。 「明日で生き返ってから2年か(*´▽`*)」 柴キッズの散歩中、夫と歩きながら話した。 「毎日が贈り物だよね!だって、1回心臓止まったんだよ!?すごくない!?」 「のっぽ(夫)がさ、『黒猫太郎は1回心停止したのに、それから1年も生きてくれたんだよ』って言ってくれたさ? 私も
前回記事 #154 沖縄帰省① 6泊7日の沖縄帰省の旅を終えました! ん〜(*´∀`*) 楽しかった\(^o^)/ 地元 私の地元はコザ(現 沖縄市)で、沖縄に住んでる時はパークアベニューによく遊びに行ってた。 昔は栄えて活気があったんだけど、今は北谷の方に人が行っちゃって静かになったなー。 当時はアメリカの軍人さんの街で、黒人さんがやってるお店に出入りするのが日課だったよ(^o^) エアージョーダンとかNBAのシカゴ・ブルズのユニフォーム買ったり、黒人さんを真似た服ばかり選んでた(*^^*) 今回は「ミュージックホテルコザ」ってホテルに泊まった。 1階にはピアノがあって自由に弾いてって♪ 沖縄ではアメリカ人と日本人のカップルをよく見かける。 チチ姉の旦那さんもアメリカの退役軍人さん。 次は私の実家\(^o^)/ みんなでゴルフしたり走り回ってた庭。 家は昔ながらの外人住宅。 窓に丸く穴が
6月21日から沖縄に帰ってきてるよ\(^o^)/ 今日は心臓を休めるため、1日ホテルでゴロゴロ中。 夜はチチ父かチチ母にタコスを配達してもらおうかと考えているところ。 嬉しいような悲しいような 家を出てから羽田空港に向かう途中の駅での話。 エレベーターに乗った私は、杖をつきながら歩く高齢女性も後から乗ろうとされて急ごうとしてたから、「ゆっくりでいいですよ!」と伝えてエレベーター内で待ってた。 乗ってきた女性は私を見てすぐ「あなた、アスリート?」とニコニコしながら聞いてきたから、「いや、病人です」と笑って答えると、 「あら、病人なの?サッカー選手かと思ったわ」って言われた。 確かに。私の見た目は健康そのものだし倒れる直前まで運動やりまくってたしな、と思って「そう見えてたなら嬉しいです、ありがとうございます」って伝えた。 乗り換えの時しばし他愛もない話をして別れた後ふと思った。 なんでサッカー
先日、Twitterで知り合った同じ冠攣縮性狭心症がある女性に会ってきた\(^o^)/ 同じ病気で、女性で、同年代で、いつか会いたいと思いTwitterでやり取りしてきたんだけど、やっと直接会って話せた! 名前はしょーこさん。 昼間は医療従事者として働いてて、夜は週に1回横浜市の関内のスナックで働かれてる。 ということで、スナックに会いに行ってきた٩(♡ε♡ )۶ 「初めまして」の挨拶の後すぐ、お互いずっと求めてたかのように話が止まらなかった。 多くの共通点 しょーこさんも私と同じ39歳で冠攣縮性狭心症を発症した。 冠攣縮性狭心症 心臓の周りを覆ってる冠動脈がけいれんする。 冠攣縮発作の原因:タバコ、お酒、ストレス、過労 等 しょーこさんの話を聞いていると、「私も!」と叫びたくなることが何度もあった。 「まだいける」、「まだ大丈夫」、が口癖だった。 仕事に全集中して、常に頭はフル回転。 テ
復職だーい\(^o^)/ 嬉しいな〜(*^▽^*)/ 嬉しいな〜(≧∇≦)/ とっても嬉しいよーヾ(*´∀`*)ノ 黒猫太郎の応援 面接の前日、キッチンから黒猫太郎の鳴き声が聞こえた。 「え、、、?黒猫太郎?」 返事はなかった。 もしかして、黒猫太郎は「面接がんばれ」って応援してくれたのかな。 いや、「こんな小さいチーズじゃなくてチャオチュール出せ」って言ったかもしれない。 お供えのチャオチュール切らしちゃっておやつの小さいチーズをお供えした日だったから、クレームだったかもしれない。 いやいや、「暑いからクーラー付けろ」って言ったのか。 湿気で暑い日だったから。 いや、やっぱり違うな。 「トイレしたよ、見てー」って教えてくれたのかも。 黒猫太郎はこっそりオシッコしたがっていつもキッチンの奥で排泄してて、排泄が終わると私を呼びに来て褒められ待ちをしてたんだけど、きっとそれだったのかな。 今も
改善してきてる体調 5月初旬の胸痛を最後に、ほとんど外出もせず、人とも会わずで疲れとストレスを避けてたら狭心症の症状が出なくなってきて体調が改善してきてる(^^)b 黒猫太郎のことがあったからまた胸痛来るかと思ったけど来なかったから良かった。 ゆっくりウォーキングも行けるようになって、数日前からスクワットも出来るようになった(☆▽☆) 主治医からは、「胸痛が来ないのを維持できれば、来にくくなるからね。胸痛が来ない状態を維持できるようやっていきましょう」って言われてるから、このままの生活を当分維持したい。 と思うところなんだけど(๑¯◡¯๑) 落ち着かない 予定より早くなったのだけど、求職活動を始めた。 しかも今月、沖縄にも帰省することにした。 面接が終わったら、沖縄に帰る(*´∀`) 3年半ぶり✧◝(⁰▿⁰)◜✧ 家から徒歩で行ける訪問看護ステーション
4月 古本巡りにはまった4月と同じ時期、みなとみらいの赤レンガ倉庫でイベントがあった。 イベントにはほとんど行ったことがなかったんだけど、今年の春は生きてきた中で一番活動的な時期で、心臓の調子は悪かったけど予定通り行くことにした。 歩きでデートが難しい状態だったから、、、 車イスで行ってきた\(^o^)/ 夫と久しぶりのみなとみらい そういえば、夫が転勤族で引っ越し続きだった頃、後ろに見えるランドマークタワーでアルバイトで勤務してた。 当時、眺めはいいし、トイレの個室に着替え用の大っきい台があるし、鏡も大っきいしイスがあるし、田舎者の私は色々感動した。 時を戻そう(^_^)/ 春の風に当たりながら景色を眺めて、夫とおしゃべりしながら恋人気分だったなーヽ(=´▽`=)ノ みなとみらいマジック 5月 受診の時に、訪問看護で働きたいことを主治医に相談したら、「徐々にならいいですよ」と言ってくれた
黒猫太郎が息を引き取ってから、私を心配した夫から「すぐ帰る」と連絡があった。 黒猫太郎を抱いたまま放心状態で、ペットの葬儀屋さんに電話した。 静かに時間だけが流れていた。 最後の時間 夫が帰ってきてから家族が揃った。 黒猫太郎の愛しい体を撫で、2人で話しかけながら体を拭いた。 その日の夜は、いつも通り夫の腕枕で黒猫太郎を寝かせた。 5月25日は黒猫太郎のそばで1日を過ごした。 黒猫太郎をずっと撫で続けた。 夫が帰宅してから、家族みんなで黒猫太郎の最後の散歩に出かけた。 風、気持ち良かったかな。 黒猫太郎が数日前に眺めた夕陽が空にあった。 夫とシャワーを浴びて先に出た私は、浴室の前に黒猫太郎を連れてきた。 浴室の前で待つのは黒猫太郎のルーチンだった。 私たちがシャワーから出るのを待つのが小さい頃からの日課で、「ニャーニャー(早く出てきてー)」とよく鳴いていた。 黒猫太郎、最後の日課を果たす時
2023年5月24日 夜中の3時20分、黒猫太郎の「ニャー」という唸り声で目が覚めた。 痛いのかもしれない。 水もほとんど飲めてないからシリンジから水をあげたら飲めた。 夫と右腕の包帯を巻き直そうとすると、苦痛そうな、叫び声のような唸り声を出して聞いてて痛々しかった。 5時20分、柴ガールが嘔吐した。 夫が両手で受け止めるが失敗。 2回目、今度は私が吐物を受け止めようとするが失敗。 ベッドに吐物が付いた。 柴ガールはシッポが下がりシュンとしている。 夫がマットレスカバーを拭いていると、申し訳なさそうな表情でうつむいている。 「いいんだよー。気にすることないよー。ほら、のっぽ(夫)見てごらん。楽しそうでしょ?のっぽは遊んでるんだよー。楽しいねー!」 と柴ガールにチュッチュッしながら言葉をかけ、夫が笑ってると、柴ガールの表情が明るくなった。 「え!?遊んでるの!?なら私も遊ぶー!」 とはしゃい
夫と私、そして黒猫太郎と柴キッズの記録を残そうと思いブログを書いてみる。 それに、気も紛れる(^_^)b 私たち夫婦の日々の成長も感じてもらえたら嬉しい (*^。^*) 5月23日 朝、みんなでのんびりしていると黒猫太郎がヨロヨロしながら私の前を横切った。 見守っていると水を飲みたかったようで自分で水を飲めている。 途中で力尽きて固まったけど、この生きようとする姿に私の方が励まされる。 食欲もあり、乾燥フードを一粒ずつ食べれて、チャオチュールも一包全部食べれた。 静かで穏やかな時間が流れていた。 黒猫太郎の介護中、距離を保ちながら見守ってくれていた柴キッズに話しかけて褒めるようにした。 また、黒猫太郎に話しかけたり顔を覗いた時、柴マンと柴ガールにも必ず話しかけるようにしてたらいつもの3倍しゃべってた気がする。 何度も名前を呼んで、「ありがとう!見守ってくれてるの!優しいね〜。今ね、お水あげ
突然ですが、黒猫太郎とのお別れが近づいてきた。 16歳3ヶ月。末期がん。 様子が変わったのは5月18日だった。 夕飯を残して、すぐにサンルームに向かって休んだ。 いつもなら私たちの夕飯の時はそばに座っておこぼれ狙うのに。 翌日の5月19日のお昼。 私がソファーで読書をしていると、黒猫太郎が目の前をフラフラになって倒れそうに歩いてた。 歩き続けられなくてパタッと倒れた姿は初めてのことで、気が動転するとはたぶんその時のことを言うんだろうな。 黒猫太郎は呼吸が早くなってて苦痛がある様子で、痛みがひどくて動けないようだった。 仕事中の夫に連絡すると、早退して通院先のクリニックから痛み止めをもらってすぐ帰ってきてくれた。 夕方になり、黒猫太郎をクリニックに連れて行って右腕の腫瘍があるとこに水が溜まってたからその水も抜いてもらった。 それから黒猫太郎の介護が始まった。 5月19日 クリニックから帰って
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