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somewereborntosingtheblues.hatenablog.com
伊勢志摩旅行二日目。本日はスペイン村で遊び倒すと決めた日である。 朝食は昨日の晩御飯と同じレストランでモーニングビュッフェ。種類はたいしてないが、コーヒーが飲めて、トーストとスクランブルエッグがあれば充分である。 と言いながら、色々選んではいるが。そしてお代わりはご飯と味噌汁。喰い過ぎである。が、スペイン村にはまともに食事を摂れる場所がないと予め相方のリサーチがあったので、朝食は多めに摂取したのであった。 ホテルの送迎バスで駅まで送って貰う。陸路で地中海村を出る。やはり陸はつまらんね。船で移動のほうが断然面白い。駅からは路線バスでスペイン村まで。ここでも旅行前に購入していた【デジタルまわりゃんせ】が使える(スマホで購入した各種の施設、バスが使えるセットチケット)。伊勢で旅行中、バス移動はすべてこの【まわりゃんせ】を提示するだけで賄えた。旅行が終わってから相方が「バスとテーマパークの入園で、
夕方、仕事をしているとスマホに相方からLINEのメッセージが来た。 「今日はF夫妻と晩御飯食べてくるから。冷蔵庫に焼きそば入ってるから(食べてね)」 やれやれ。どうせ今日も残業だ。俺の仕事は定時に帰れることはまずない。ただのブラック企業である。そして仕事が一段落したのが20時半くらい。もう、仕事は切り上げて今日は帰るか。 F夫妻は相方の元同僚である。2人は、相方が働いていた会社を辞め、起業した。相方の弁だとF妻は医療コンサルティング業界ではかなり特殊且つハイスペックなスキルを持っており、それを武器に起業したのだと言う。相方は今、不動産屋の総務とF夫妻の会社のヘルプという二足の草鞋を履いている。後々はF夫妻の会社で全面的に働くつもりなのだとか。 相方自身は、俺の目から見て特殊な能力やなにか秀でた物があるのではない。だが、こういった能力のある人物と曳き合う力があるのだよなあ。これも一つの能力だ
今年の夏は駄目だ。 去年、一昨年と7月、8月は札幌に旅行していた。旅行とはちょっと違うか。テナーSaxを担いで、札幌でバンドの仲間と一緒に演奏をした。一昨年はファンク系の曲と映画やドラマのサントラがレパートリーの中心だった。去年の夏は、シティ・ポップが主な演奏曲だった。このバンドはメンバーが殆ど変わっていないのに、やる曲が毎年変わるのである。出世魚のようだ。 今年、バンドは札幌シティジャズに参加することを画策していた。日程も決まっていたし、俺も早々とホテルと飛行機のチケットを予約するつもりでいた。ところが、バンドが札幌シティジャズに申込をしようとした時点で、既に応募は締め切られていたらしい。 こればかりは誰が悪いということでもない。唯一悪いものがあるとしたら、運が悪かったとでも言うべきか。 毎年、夏は札幌に行ってSaxを吹く、というのが俺のライフワークになるかなと目論んでいたが、3年目で頓
2023年の10月にマンションを買った。2024年の1月に新居に引越した。 それらの話は以下に書いた。 それでも家を買いました(購入編) - Some Were Born To Sing The Blues それでも家を買いました(引越編) - Some Were Born To Sing The Blues 新しい住居、新しい街で暮らし始めて半年弱が過ぎ、この街の景色にも慣れた。住所も神奈川県川崎市から神奈川県横浜市への移動。横浜というと御洒落なイメージがあるけれども、実際に御洒落なのは、テレビドラマのロケに使われるような一部のエリアであって、大半はただの田舎町である。 昔、知り合いに横浜出身の女性がいて、彼女は自らを「横浜シューマイ娘」と呼んでいた。そういった「私は御洒落な街の出身なんです~」という鼻持ちならない空気感を漂わせている横浜市民が俺は大嫌いだ。さらに俺は自分が今現在横浜市民
タイトルだけ読んで、何やら艶っぽい話でもあるのかと想像した人はいないだろう。そんな話がある筈もない。 では、5番目とは何か。楽器の話である。 中学生の時にギターを弾き始めた。同じクラスの横山君というオタク少年にギターを教えて貰い、俺はコードを覚え、ギターの弾き方を学んだ。当時、中島みゆきのファンであったので、彼女の歌をギターで弾きたいなと思ったのが、ギターを始めた切っ掛け。 同級生の由利ちゃんが「ギター弾ける人って格好良いよね!」と呟いたことは、俺のギター歴に一切影響を与えていない。本当だぞ。由利ちゃんは、身長163センチで足が長かった。放課後、教室でブルマ姿(昭和の遺物だ)の由利ちゃんとお喋りをしながら、彼女の長い足が綺麗だったのを今でも昨日のように覚えている。由利ちゃん、元気かなあ…話が逸れまくった。由利ちゃんをデートに誘って断られたのも、今でもよく覚え…だから、しつこいよ。本題に戻れ
土曜の朝、10時頃に起きる。相方に「今日は午後からピアノ教室だから、1時ちょっと過ぎに出るよ」と告げる。相方は、夕方から元同僚のF妻と食事に出掛けるとの事。となると、晩御飯は俺1人だ、サッポロ一番で決まりである。味噌にするか塩にするかは後で決めよう。 ピアノ教室に出掛け、小芝風花似の優香先生のレッスン。この人は20代半ばなのだが、俺と会話する時も完全タメ口である。それが優香先生のキャラなので気にならない。今、レッスンでやっている練習曲は「イパネマの娘」である。Aメロがタイの連発、そしてBメロは二拍三連が続くという、俺の苦手なリズムパターンのみで構成される曲だ。二拍三連は以前レッスンでやった「ALL OF ME」でもあった。だが、その時はきちんと二拍三連を自分の物に出来ないまま終えてしまった。今回は優香先生からも「今度こそ、二拍三連をモノにしましょう!」と言われているのだ。さすがに前回出来な
古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日本に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。 Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。 25歳に戻れた夜~ブライアン・アダムスのライブを見て来た - Some Were Born To Sing The Blues Adrienneは、東京と京都を訪問するのだと言う。そこで俺は東京のお薦め観光スポットとして、浅草寺、東京スカイツリーの観光案内サイトのリンクを送り、英語の説明文を付けた。 また、どうせ食事をするのなら、居酒屋が良いと居酒屋紹介サイト(ここは最初から英語で説明があった)のリンクをメッセンジャーで送る。 日本に来て、ピザやハンバーガーを喰っても仕方あるまい。どうせなら、日本でしか喰えないものを経験させてやりたい。 火曜
12月にマンションを購入した話は既に書いた。 それでも家を買いました(購入編) - Some Were Born To Sing The Blues そして、引越しを1月20日に決めた。この日付に特に意味はない。相方が「引越し前に色々買い物をしたいから、余裕があったほうがいい」と言ったその意見を尊重したに過ぎない。 分譲/賃貸関係なく、新しい家に引越しを行うと、新たに色々と買い物をする必要が出て来る。引越し前後の部屋の間取り、広さが全く一緒であるならばともかく(そんなケースはまずない)、そうでない場合、現在使っている家具やテーブル等が使えなくなることが往々にして発生するからだ。 今まで住んでいた部屋も新しく住むところも、2LDKという間取りは同じだが、広さが微妙に違う。新しいほうが全体的に狭い。俺が使っていたクローゼットも圧倒的に小さく狭くなるため、今まで使っていた衣装ケースが使えないこと
19歳の時、大学進学を機に上京した。初めての独り暮らしは4畳半一間の学生専用ボロアパート。トイレ、風呂共同。家賃が1万5千円だった。部屋の窓を開けると大家の家の壁が見えた。というか、壁しか見えなかった。 それから36年、多少は部屋のランク(広さと家賃)は上がったが、ずっと賃貸物件暮らし。別に「俺は一生賃貸で構わない」というポリシーがあったわけじゃない。ただ単純に家を買うという選択肢が俺の人生で発生しなかっただけのこと。 20代で結婚し、30歳前後に35年ローンでマンションを買う。そういった世間に存在する王道のライフプランとは無縁だった。これは俺が若い頃に1度失敗してバツがついていることも影響している(詳細は書かない)。 相方と知り合った時、俺は38歳だった。相方は2つ歳下。それから2年交際して一緒になった。ちなみにプロポーズは相方からだ。これも詳細は書かない(書けない)。 俺も相方も40代
(タコライスと野菜スープ。本日の晩御飯なり。食べたのは夜中の23時半だけれども) 人様のblogを読んでいると「50代になって、40代の頃よりもずっと楽になった」とか「30歳を迎えてもう若くないなぁと思ったけれども、20代よりも肩の力を抜いて生きられるようになった」などと、歳を取ることを非常にポジティブに捉えている人が多いことに気付いた。 この傾向は女性のほうが多いような気がする。単なるイメージだけの問題かもしれないが。 無論、歳を喰って「身体中がガタガタです。もうポンコツです」と身も蓋もないことを書いている人もやはり多い。 では翻って俺はどうか。 正直に言おう。俺は歳を喰って良かったと思ったことが一度もない。因みに参考までに書いておくと、俺は今日現在55歳だ。あ、もうあと数年で赤いちゃんちゃんこじゃねーかよ。泣きたくなってきた。いや別に泣きはしないけれど。 歳を喰って一番辛いのが、俺の場
今日からベトナムに来ています。 ベトナムは暑い。 現地からは以上です。
前回、札幌に行ってSaxを吹いてきた話を書いた。ふと、俺が札幌にまで出掛けてSaxを吹く、吹けるという事は、実は色々な幸運の積重ねなのではないか、と気付いた。 そこで、どうしてこの僥倖があり得たのか、ちょっと映画メメント風に、現時点から過去にこの長い道を辿ってみたい。 8月第一週に札幌に出掛けて、札幌の友人(以下、師匠。彼のニックネームだ)やバンド仲間と再会し、イベント会場でライブを行い、Saxを吹いた。 何故、そうなったか。それは去年も同じフェスに呼ばれてSaxを吹いた過去実績があったからだ。 去年、俺が呼ばれたのは、師匠がフェスの主催者であり、師匠のバンド出演することが決まったから。まず、この時点で師匠がフェスを開催するということを企画しなくては、何も始まらない。 俺も札幌にいた時はこのバンドにギター担当で所属していた。だから遊びに来いと師匠に去年言われたのだ。俺がこのバンドを離れたの
「あら、なんですか?」 「ええっと、奥さん。本日は家庭で威力を発揮する掃除機のご説明に来ました」 「失礼ね。私は奥さんじゃないわよ」 「あ、まだ独身でいらっしゃる。それは失礼。ところで、本日はこの掃除機の…」 「うち、掃除機あるもん。要らないわよ」 「ま、皆さん、最初はそう言うんですよ。良かったら、デモだけでもご覧になりませんか?」 「結構です」 「でも、デモは無料ですよ」 「それ、駄洒落?最悪…」 「ま、そう仰らずに。無料ですから。それではお邪魔致します」 「あっ。ちょっと何勝手に靴脱いでるのよ」 「ま、いいじゃないですか。ズボンまでは脱ぎませんよ。ましてやトランクスなんて、とんでもない」 「だから、なんで上がりこんでくるのよ?」 「で、奥さん。弊社の開発したこの掃除機、なんと空気清浄機も兼ねてるんですよ」 「だから私は奥さんじゃないってば。人の話聞きなさいよ」 「奥さんこそ、私の話を聞
今日あった、どうでも良い出来事を書く。 俺は電車で職場まで通勤している。池袋駅でJRから地下鉄へ乗り継ぐ。この時、池袋駅前の喫煙所で煙草を2本吸うのが日課だ。え、なに? お前、禁煙してたんじゃないのかだって? 馬鹿言ってんじゃないよ。 「酒も煙草も女もやらず、百まで生きた馬鹿がいる」と都都逸でも歌われているじゃないか。やりたい事もやらず、好きな物も口にせず、惚れた女を抱くこともせず、それで長生きして何の意味があるというのか、いやない(反語)。 ちょっと待て、俺が話したい主題はそういった与太話ではない。いや、そもそも俺の話は全て与太話だが。 本題に戻す。 喫煙所で煙草を吸っていると、俺の斜め前で女性が煙草を吸っていた。喫煙所なのだから、男だろうが女だろうが、20歳を超えていれば煙草を吸っていても、人に後ろ指をさされる謂れはない。 その女性はジーンズを穿いていた。俺はふと違和感を覚えた。 ん?
仕事で壮大なミスをやらかし、客からクレームが来た。俺が100%悪いので、申し開きも出来ない。上司からの聞き取りにも「すいません、自分が独断でやってミスしました」と素直に報告した。言い訳する余地はない。 仕事は飯のタネだから、多少のミスはどうでもいいと思ってはいるが、やはり失敗をして気分は良くない。そこで験直しに、横浜中華街に行って飯を食おうと思いついた。それに中華街には、俺が前から欲しかったブレスレットを扱っている店がある。そこでいくつかブレスレットも買って気分転換しようとも。 相方に「中華街に行って、飯でも食わないか」と水を向けると「ワンタン食べたいな」と返って来た。となると話は早い。店は相方が勝手に探してくるだろう。 土曜日の昼過ぎに俺はピアノ教室へ行く。相方はスポーツジムへ汗を流しに行った。2人それぞれの用事を片付けて、夕方に横浜中華街まで出掛ける。 元町・中華街駅を降りて地上に出る
2023年の元日。 相方に「もう7時半だよー」と起こされる。昨夜はサウナ室で見知らぬ男性と2人きりで新年を迎えたのであった。 「朝ご飯、食べに行こうよ」と相方に誘われ、食堂へと。昨夜の大晦日の晩御飯、元日の朝食と共にビュッフェである。このほうが自分で量と種類を調整出来るので都合が良い。 昨日、昼夜と食べ過ぎたせいなのか、あまり食欲が湧かない。旅行先の朝食と言えば、食べ過ぎてしまうのが常であるが、この日はかなり少ない。白米、味噌汁、目玉焼き、白身魚、焼きそば、そしてしらすおろしである。 但し、雑煮を振舞ってくれていたので、これは二杯頂いた。やはり元日は雑煮ですな。 朝風呂を軽く浴びて、チェックアウト。10時になりホテルを出る。ホテルの裏手に滝があったので新年早々に参拝といった感じ。巫女さんが新年の挨拶をしてくれる。 そのまま箱根湯本の駅まで降りる。相方は今回の箱根旅行で「元日は箱根神社に初詣
先日、相方が誕生日を迎えたので、そのお祝いをすることにした。川崎のラゾーナという商業施設に、ちょっとお値段が高めの回転寿司屋がある。相方はそこに行きたいと言う。俺は生ものは得意じゃないのだが、仕方あるまい。生ものは苦手と書いたが、実際に喰えない物は、ウニと烏賊と甘えびくらいである。ウニは喰っても何が美味いのか一切判らないし、烏賊の食感はゴムにしか思えないし、甘えびは喰うと吐き気がする(笑)でも、白身魚は好きだし、マグロも好きだ。だから、寿司屋に行ったから、喰える物がないということでもない。 相方は烏賊が好物なので、さっそく烏賊を注文する。俺は平目を食べたかったのではあるが、品切れだった。鯵が250円くらいで、鰯が350円という値段に隔世の感を覚える。俺が若かった頃は、鯵が高級品で、鰯は下魚だった。 「今は鯵よりも鰯のほうが高いんだねえ」俺が驚いていると、相方が「鯵は安定して取れるからかな。
水曜日は相方がスペイン語教室に通う日だ。教室の時間が夜の19時~20時台なので、水曜日は基本的に晩御飯は別々に摂る。 火曜の夜、相方に確認した。「明日はスペイン語(教室)あるよね」 「うん。晩御飯どうしようか?」相方の問いに俺は「別々で良いよ」と返す。 「あー。なんか最近、スペイン語続けるモチベーションが低下してるんだよなぁ…」相方がため息をつく。なんとなくだが、理由は判る気がした。 相方がスペイン語を習い始めた直接のきっかけは2015年のメキシコ旅行。現地では面白いくらいに英語が通じなかった。スペイン語オンリー。レストランのメニュー解読にも苦労したし、路線バスに乗って1日中彷徨い続けたりもした。英語が通じたのはホテルのスタッフと長距離バスのチケット窓口くらいだった。(メキシコ旅行2015 カテゴリーの記事一覧 - Some Were Born To Sing The Blues) 帰国後
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