前人未到の69連勝を続けていた双葉山が安藝ノ海に敗れたのが、昭和14年一月場所四日目。実に3年ぶりに黒星を喫したにもかかわらず、この日の双葉山はまったくいつもと変わるところがなかったそうだ。 館内の騒ぎも意に介さず、普段通り土俵に一礼した後、東の花道を下がっていったという。 その日の夜、双葉山は知人に充てて電報を打っている。 「われいまだ木鶏たりえず」 木で作った鶏のように無心の境地に至れなかった自分をいましめ、さらなる精進を誓った言葉である。 連勝がストップしてもまったく動じなかった土俵態度、そして短い電文に込められた土俵への思い。孤高なまでに相撲道と向き合い、己の限界に挑み続けた双葉山の実像に迫る一言であるといえよう。